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奥の細道(松島海岸)
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中尊寺から400~500m下った所に義経公最期の地「高館(たかだち)」がある。
義経堂が建つ所。後年義経を慕って旅を続けここに辿り着いた松尾芭蕉は眼下を
流れる北上川やその向こうの束稲山をみて時を忘れて思いにふけり、涙しながら
詠んだ一句が ”夏草や 兵どもが 夢の跡”とされる。
中尊寺の金色堂には ”五月雨の 降残してや 光堂”の句がある
因みに金色堂の須彌壇には藤原三衡公のご遺体と頼朝に屈して義経を討った
挙句当の頼朝に討ち滅ぼされた四代泰衡公の首級が安置されているそうだ。
金色堂は眩いばかりの煌びやかなお堂だが、屋根の瓦が木製のため、
腐食を避けて建物(新覆堂)の中に丸ごと納められている。
(金色堂そのものは残念ながら撮影禁止となっていた)