ビーンスターク(nor)

自然界の事様々

高山2 (飛騨 NO.7)

2010-03-18 15:34:05 | Weblog
高山市の宿に着いたら、数個の鉾のミニチュアと足長、手長と名付けられた
奇妙な木彫像がガラスケースの中にあった。
説明を探すと、「足名推名(アシナズチノミコト)、手名推命(テナズチノミコト)」
とあり、出雲の国で八岐大蛇に生贄にされるところを、丁度通りかかった
スサノオノ尊に助けられ、
その後、尊の妻となった櫛名田姫の両親とある。
どう言う訳か両親は娘夫婦と別れて出雲を離れ、
流れ流れて飛騨の国に辿り着いた。飛騨の国主に贈り物をと思って
川の魚を獲っていると、神様が現れて、禁じて居た漁をしたとお怒りになり、
夫の両足を括って逆さまにぶら下げ、妻は両手を縛ってぶら下げ、そのまま捨て置かれた。
飛騨の人々は元々自分達が魚を獲りすぎて神の怒りをかっていたので、
夫婦を気の毒に思い、神様に助けてあげてほしいと頼んだ。
夫婦は助けられたのですが、下に降ろされてみると、それぞれ足と手が
ビョーンと伸びていたとの事です。その後のお話は詳しくは分かりませんが
日本神話に登場する神々は、それぞれ自然界の事象を象徴していると言われているので
この夫婦の伝説も、深い川の幸と
高い木々の上の山の幸を得易い長い手足が欲しいと言う
飛騨の人々の願いが込められたものかもしれません。










高山 (飛騨 NO.6)

2010-03-16 22:12:25 | Weblog

継体天皇と目子姫 (めのこひめ)
(薄墨桜)




西暦500年頃26代継体天皇は皇位継承の事情で、生後まもなく(男大ど王)
飛騨根尾村に隠れ住まわれた。
26才の時乳母の娘、目子姫と結婚、3年後継承権が廻って来て、はれて天皇に即位されるが
身分の低い目子姫は奈良の都に連れて行けず、名残惜しい根尾の人々に
一首の歌と共に桜の苗を形見として残された。桜は花びらが白色から次第に薄墨色に
変わる美しいもので、淡墨桜と呼ばれ国の天然記念物に指定されている。
目子姫はその後桜の一枝を持ち、奈良の天皇の行列の前に身を呈し
再会を果たしたと言い伝えられています



高山に戻る (飛騨 NO.5)

2010-03-15 23:00:45 | Weblog




白川郷を出て東海北陸自動車道に入って高山市目指すと
物凄い数のトンネルが連続して始まります。
飛騨トンネル、保トンネル、いら谷、船原、江黒、東俣、ミボロ、池本木、二本木、
あー後は分かりません。朧になってうとうと...
目が醒めると高山市内となっていました。運転手さんほんとにご苦労様です。


白川郷スライドショウ (飛騨 NO.4)

2010-03-11 00:23:38 | Weblog
画像をクリックしてスライドショウをご覧下さい





白川郷のせせらぎ公園にあるバス停から庄川に掛かる橋を渡り奥の方に歩いて行くと
左側に、屋内に入る事の出来る”明善寺”がある。5階建て、合掌造りの文化財。
合掌造りは釘を使わず、柱を組むのにネソを呼ばれるマンサクの若木や縄で縛って
つくってある。一階の囲炉裏の煙が上へ上へと上って屋根裏の建築資材を燻して、
防虫防腐の役目を果たしている。写真の屋根裏部屋は燻されて真っ黒になった柱である
集落の建物はほとんど南北に向き、屋根の傾斜は東西方向に流れ
日照量を有効利用、夏涼しく冬暖かい様に工夫されている。








飛騨方面へ(飛騨 NO.1)

2010-03-09 18:31:25 | Weblog

 

遅ればせながら飛騨白川郷、高山へ行って来ました。往路は新幹線、JR高山本線、特急濃飛バスと乗り継いで行きました。高山線に沿うように飛騨川がずっと続きます。車窓の景色を写すのはなかなか難しいのもです。カメラの設定が後手後手となって意図しないものが写ります。画像を確認してると変なものが写っていてゾッとしましたが、よく見るとどうやら自分の両手が窓ガラスに写っているのでした。

名古屋駅駅弁 

 飛騨川

下呂温泉近く