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自然界の事様々

中山道木曽路ー妻籠宿

2009-09-25 16:08:10 | Weblog


「妻籠宿」  中山道69次中第42次
 
平安時代後期より交通の要所に宿場が発達して
人馬の供給や宿泊場所を提供してきたが、江戸幕府になってさらに精密に整備された。
江戸日本橋から京三条大橋までの主要な2つの街道(東海道と中山道)に宿駅を設置、
人馬の提供を義務づけ旅行者、物資の運搬を円滑にした。中山道の宿場は69次あるが
各宿場は次の宿場まで人馬で運ぶ、運搬物をリレーで京、江戸に運んだわけである。
ここ妻籠では次の馬籠宿までの間に海抜801mの馬籠峠があるので、
峠の麓で体力のある牛に荷物を積み替えて越えて行ったという事である。
  







宿場には本陣とそれに準ずる脇本陣があり、参勤交代の大名などが宿泊した。
地元の有力者を幕府が任命し、本陣は格式を保つ事に勤めた。妻籠の本陣は
文豪島崎藤村の母の生家である。明治になって鉄道、道路の発達に伴い宿場は
衰退していったが高度成長期にあった昭和51年宿場の保存運動が興り妻籠は
全国に先駆け「土地を売らない、貸さない、壊さない」をモットーに実生活し、
現在も民宿があって、昔ながらの民家に泊まれる。


( Yahoo百科事典、妻籠観光協会資料参照)