五能線「五所川原駅」の前の道路を真っ直ぐ
前方に進むと《立佞武多の館》 (タチネプタのヤカタ)がある。
館には夏の運行時そのままの巨大なねぷたが展示されている。
鹿嶋大明神が地震鯰をやっつけての震災復興祈願。 じゃま、なんぼ?は背丈はいくら?の意
鹿嶋大明神が地震鯰をやっつけての震災復興祈願。 じゃま、なんぼ?は背丈はいくら?の意
立ちねぷたの高さは天を突く23m 重さは19t、圧巻でした。
ねぷたの運行に関する最古の記述に
灯篭に花や柳の枝を扇状に飾り付けて練り歩いたとあるそうだ。
木や竹で作った骨組みに和紙を貼り付け、その中に灯りを入れ、
町中を運行させるスタイルは江戸時代にすでに定着していたと推測されている。
"ねぷた"の起源とされるものは現在3つ残っているとの事だった。
1.昔 収穫期の疲労からくる睡魔を追い払うためだった。
「眠い」…「ねんぷて」「ねぶて」
2.759年坂上田村麻呂の陸奥征討の際山中に立てこもった
蝦夷をおびき出すため灯篭人形に灯をともし
笛や太鼓ではやしたて
蝦夷が訝って出てきたところに奇襲をかけた。
「あれは何だ」…アイヌ語で「ねぷたん」
3.1593年津軽為信が初代津軽藩主として京都守護のため
上洛していた際、都の人々を驚かすため、
二間四方の大灯篭を作らせ中に灯をともし、
お盆の時季に都を練り歩いたという逸話。
1996年戦争で中断されていたねぷたが地元の有志の手で復活され
1998年から正式に市内を運行、翌年以降毎年新作が一台ずつ制作されて
2000年には計3台が出陣、その後は古いねぷたから順に退役、
代わりに新作が追加され合計3台が常に運行される。