Advocacy:アドボカシー

2011-08-08 23:09:56 | 医療用語(看護、医学)
  advocacyという言葉を最初に見たのは、1990年代の半ば、小児の保健医療で、プレイセラピーに関する仕事を通じてだった。プレイセラピーとは、遊びを通じて医療を受ける子どもたちに準備教育(preparation)をする専門領域で、その専門家をプレイセラピストという。advocacyを「権利擁護」と訳していた。

 看護では、カタカナで「アドボカシー」とした。アドボカシーを行う人を「アドボケイト(advocate)」という。ナースは患者のアドボケイトだ。

 アドボカシーとは、一般的には、社会的弱者に対して権利擁護をしていくことで、advocacy organizationは、患者団体や親の会(小児がんなど小児疾患の親の団体がそれにあたる)になる。医療職者がそうした団体のサポートをすることもアドボカシーになる。

 権利擁護だけでなく、「代弁」もアドボカシーの大切な機能だ。患者の権利やニーズを代弁し、適切な医療を受けられるようにする。ベッドサイドでは一番、患者のそばに存在するのがナースであるため、看護の重要な役割であるとしている。

 医療通訳者も、医療チームの一員として患者アドボカシーが求められ、カリフォルニア医療通訳者協会の倫理綱領には、第4番目の役割として、Patient Advocacyが挙げられている↓
http://www.fachc.org/pdf/mig_ca_standards_healthcare_interpreters.pdf

 アドボカシーが日本で文献に現れ始めて、20年ぐらいだろうか。以上が、これまで主に、アドボカシーについて説明されてきたことだ。

 アドボカシーに関して看護については、注意すべきことがある。国際看護の文献で、特に2000年前後の動きとして、professional advocacyという言葉が出てきた。「専門職者のアドボカシー」になる。これには上記の意味からもっと発展したアドボカシーだ。ウィキにある(下記URL)「社会問題に対処するために政府や自治体及びそれに準ずる機関に影響をもたらし、公共政策の形成及び変容を促すことを目的とした活動である」に関わるものといえる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%BC

 professional advocacyの中には、最初に述べた患者のアドボカシーだけでなく、看護職自体をアドボケイトする必要性が強調されている。看護の政治的な役割に関わる。

 背景を説明すると、看護における患者アドボカシーの初期の欧米の文献の中で、ナースが患者の権利を擁護し代弁していこうとしても、看護がそれをするだけエンパワーされておらず、進まないということが挙げられていた。例えば、患者にとって良質な医療を目指しても、社会的な地位や認知、医療の中での立場(対等な協働になっていない)、多職種との連携、看護師不足や労働量などなど、看護をめぐるいろいろな問題や制約でうまく行かない。ナースは常に患者のそばに存在する専門職であることから発展させてきた人間中心の知識ベースがあるが、そうした状況では有効に活用して人々の福祉を向上できない。そのために、看護職をアドボケイトし、一般の人々からより多くの理解と支援を得て、看護や医療に関する社会政策の実現を目指せるように力をつける必要性が主張されるようになった。そうした社会/保健医療政策を実現して、初めて患者のアドボカシーになるということなのだ。

 例えば、簡単なことからいうと、ナースは自分の仕事について、家族(夫や子ども、親、兄弟)に話をする。どんなすばらしい仕事か、苦労はあるけどやりがいがある。地域の人々にも看護のすばらしさを話ができる機会を得る。例としては、学校で子どもたちに話ができる機会を作るなど。そうした日常、1人1人ができることから始まって、病院内の活動では、日常の実践の中で患者や家族にセルフケアの指導をしながら看護の有効性を説明したり、多職種の人たちに看護の効果をしめすとともに協働の仕方の例を示したり(看護の重要な役割にコーディネーションがある)、ケアの改善について院内の委員会で看護が重視される方向で発言をしたりする。もっと大きくなると、より良い看護ができるような政策実現や法律改正を目指して、交渉ができる力をつける(専門職団体などを通じて)。そのために、メディアを有効に使って、看護が人々の健康と幸福、福祉に不可欠なものであることを訴えるとともに、ナースがリーダーシップを取れるイメージを世の中に広げていく(ケアリングばかりではない)。

 このことは、看護が自分のことばかりを主張しているということではない。人々が必要とする看護を守っていくには、看護自体が世の中から評価され支援をされなければ叶わない。そのために、ナースには、professional advocacyが必要なのだということだ。

 その意味でのアドボカシーを展開できる力の養成を看護基礎教育(学部レベルの教育)の段階から組み入れていかなければならないとしている。

 看護におけるprofessional advocacyについては、日本の看護文献ではまだ出てきていない。日本の論文では、「患者アドボカシー」として代弁と権利擁護のことが主に述べられているだけだ。しかし、看護の国際文献では、アドボカシーは、「看護の政治および政策」中で上記のことがしっかり、説明されている。
 
 国際的な看護の議論でのテーマの推移は、今後、機会があれば、ブログで紹介するつもりだ。学術的なテーマは時間とともに推移する。どの分野にもそれはいえる。看護の場合、ICNが一番大きな団体だ。看護の各分野の指導者が関わる専門職団体であり、そこの動きは国際看護全体の基調で、細分化された看護分野にも反映されている。実際、看護の個別分野(例えば、看護教育、がん看護など)の仕事を受けたとき、関係項目では共通の認識をベースにした議論になっている。

 professional advocacyについては、看護で見られる考え方が、今後、他の分野でも現れるかもしれない。というのは、看護では、社会学的研究がすでに、1970年代から盛んであり、看護研究の視点や方法が、30年あとに、他の分野で見られ始めたりしている。このことは、看護学が他の分野よりもずっと進んでいると私が感じている部分だ。

 参考文献:Mason, D.J., Leavitt, J.K., Chaffee, M.W.(2007): Policy Politics in Nursing and Healthcare, St. Louis: Saunders Elsevier, pp36-37.
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