PPKオーナーの奮闘コーナー

写真付きで日記や奮闘の様子をお知らせします。

追憶 10

2011-02-04 17:36:28 | リラックス
私の育ちについては大分間が空きましたが、自分の人生体験の中でのキーポイントになるアクションを紹介します。

私の人生で画期的な出来事が中学生の時におきました。

学校の時も真面目に過ごし、優等生として総代を務め中学生になってもそれなりに優等生として過ごしていましたが、自分では全く気がついていなかったのですが、何時の間にか「おごりが」身について来ていたようでした。

当時は先輩が絶対的な存在でしたがそれでもある程度できる者には大らかでしたので、吹奏楽部に属して居たのですが合間でバレーボール部・バスケット部・卓球部・陸上部・野球部・水泳部・柔道部・書道部・などどこにでも顔を出して遊んでいました。

そして肝心の吹奏楽部の練習はサボりぎみで適当になっていたある日部に顔を出したら、若い新任の顧問の先生にいきなり皆の前でぶんなぐられました、「お前のような奴は何をやってもろくな事は出来ない、とっとと出て行けー」と破門されました。

とても悔しくて悔しくて泣きかぶりながら家に帰りました。絶対吹奏楽部なんか入るものか・・・と謝りに行く事すらしませんでした。
その代わり陸上部に入り無我夢中で練習をしました。3年生の時は部長になり当時の市の大会・郡の大会・地区大会を勝ち抜き長野県大会兼NHK放送陸上に出るところまでいきました、でもいつも吹奏楽部の「あの先生を見返してやるんだ」という想いで一杯でした。

高校に入学すると一番先に陸上部の先輩に勧誘され、野球部・バスケ部・バレー部・サッカー部と誘いを受けましたがすべてお断りして吹奏楽部に入部しました。
当時楽器もまともな物も無く、県大会では一度も入賞したこともないという部でしたが25人も入部しました。

同期にとても優秀な人が揃っていたのと、入部した年から東京芸大をでたとても熱心な顧問の力もあり私達が1年の時初めて小さな編成のグループで県大会3位と入賞したのでした。

結局私達が3年の時同期は7人になりましたが、県大会の中編成部門であの松商学園を破り優勝できました。
私の高校生活は何の迷いも無くそして勉強は程ほどでしたが、朝一番の電車に乗り最終の電車で帰る毎日、時には乗り遅れ夜中24キロの山道を自転車で帰ったことが何回あったかわかりません。

何にも替え難い体験をさせて頂いたのは中学の吹奏楽部顧問のお陰でした。高校に行ってからはその顧問の家にも行けるようになり、音楽の話ができました。

人生の中でこんなに素晴らしい人との出逢いがあったのだと感謝念で一杯になります、有難うございました。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿