人は成長する時、大きな不安や恐怖を感じ、それを抱えながら前に進んだ時に新しい未来が拓かれていると私は思います。
例えば病気。
感染力の強い疫病が流行し、たくさんの人が亡くなっていく状況をみてどうにかしたい!とワクチンや治療方法が出来ました。そして安心して生活が出来るのです。
もう1つはスポーツ等では足が早かったり、力が強かったりする相手に負けた時悔しい気持ちの反面「何とかして勝ちたい!」と強く願い、人がしない努力をずっと続けた結果勝てるのです。
今自身の生活は大変ですか?苦しいですか?
その状況は何もしないでいるとそのままで、刺激にも慣れて「ま、いっか。」となりますが、刺激は成長する手前にある扉(合図)です。
乗り越えてみませんか?1人で頑張らなくても大丈夫です。あなたの周りにいる人が実は全てあなたを成長させてくれるために引き寄せられた人たちなのですから。
晴れた天気には感謝し、雨の日には植物の喜びに眼を向け感謝して傘を指す。
外に出掛ける時にも自分が作ってもいないのに靴や服があるのは作ってくれる人がいて、それを売る人がいて買うことが出来るのです。
通りすがりの人に声をかけてみましょう。ひょっとしたら何か悩んでいて話しかけてほしかったのかも知れません。
道に落ちているゴミは拾うと次に通る人が気持ち良くなり、職場や家庭で笑顔になるきっかけをあなたが作るかも知れません。
人は誉められたり、感謝されたら嬉しいことを知っています。反対に誹謗中傷、愚痴や不平不満を聞いて嬉しい人はいないのに何故人は使ってしまうのでしょうか?
私はそんなことを改めて聞かされた時から暴力を止め、言葉を変える練習をしています。毎朝掃除をしながら家族や、関わる人の笑顔の1日を想像しています。
良いことがあったと感じた時にはありがとうといい、苦しい状況になっている時には「有難い」と感謝する言葉を続けています。
そんなのやるのは意味がないと思いますか?私は何もしないより意味があるかもしれないので試しています。
試してみて3年が経ちました。
どう変わったかというとたくさんのことに
ありがとう
しか出てこなくなっています。