大門様のコメントにあった石川啄木の歌に出てくるお城は何じゃらホイ?と調べてみました。
不来方(こずかた)城とも言われた盛岡城跡は、今では岩手公園という憩いの場になっているそうです。
その中にある石川啄木の歌碑は『一握の砂』より
「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」
あぁ、とても余韻のある歌ですね。
啄木は、盛岡中学時代によく授業を抜け出して寝転んでいたそうです。
↑ん?屋上だったらキヨシローだよね^^
結びの言葉「十五の心」は十五個の心ではありませんよ。
↑尾崎豊『十五の夜』も十五夜満月でないのと同様^^hahaha尾崎豊は啄木ファン?どなたかご存知?
啄木が十五歳の時のことを歌った短歌だということが最後に分かります。
しかもオ段の発音が5個続いて終わるところに、うちにこもった感情を表しているじゃない?
古いお城の跡の草地に寝転んで空を見る~視界には果てない空しか見えません。
悠久の時を経て、同じ空が天上に存在。
時間も空間も広大な空に対して、十五歳の心はなんとちっぽけな事か…。
「吸はれし」~よい表現ですね。私には幽体離脱のような光景が思い浮かぶんですけど…^^;
吸収されるのは心だけ。肉体は草に寝転がったまま。
十五歳。いろんなことを考え、ぐちゃぐちゃになって自分を模索しているような時期かしら。
夫に、中学の頃の考えを聞いてみたら、母親の言うことなんか「ヘン!クダラネー」と全く意に介していなかったそうな;;
うちの長男、まさしく今、十五歳~
あぁ、十五の母!!
↑くどいようですが、15人の母ではありません^^
不来方(こずかた)城とも言われた盛岡城跡は、今では岩手公園という憩いの場になっているそうです。
その中にある石川啄木の歌碑は『一握の砂』より
「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」
あぁ、とても余韻のある歌ですね。
啄木は、盛岡中学時代によく授業を抜け出して寝転んでいたそうです。
↑ん?屋上だったらキヨシローだよね^^
結びの言葉「十五の心」は十五個の心ではありませんよ。
↑尾崎豊『十五の夜』も十五夜満月でないのと同様^^hahaha尾崎豊は啄木ファン?どなたかご存知?
啄木が十五歳の時のことを歌った短歌だということが最後に分かります。
しかもオ段の発音が5個続いて終わるところに、うちにこもった感情を表しているじゃない?
古いお城の跡の草地に寝転んで空を見る~視界には果てない空しか見えません。
悠久の時を経て、同じ空が天上に存在。
時間も空間も広大な空に対して、十五歳の心はなんとちっぽけな事か…。
「吸はれし」~よい表現ですね。私には幽体離脱のような光景が思い浮かぶんですけど…^^;
吸収されるのは心だけ。肉体は草に寝転がったまま。
十五歳。いろんなことを考え、ぐちゃぐちゃになって自分を模索しているような時期かしら。
夫に、中学の頃の考えを聞いてみたら、母親の言うことなんか「ヘン!クダラネー」と全く意に介していなかったそうな;;
うちの長男、まさしく今、十五歳~
あぁ、十五の母!!
↑くどいようですが、15人の母ではありません^^
ある意味パンクな人だったと思います。
この人、まず嘘ツキです。
ろくに働かないのでお金が無いのは当たり前…
しかし
「働けど働けど我が暮らし楽にならず…」
なんて歌い
実妹に
「ろくすっぽ実家に顔も出したこと無いし、母親をおぶったことなんて無いです…」
と、身も蓋もないことを言われ
「戯れに母を背負いて…」
の歌が嘘だとバレちまい
「金が無い、もうおしまいだ…」
と知人に泣きついてお金を借りるとその足で遊郭に行ってしまう…どうしようもない人だったそうです…(-_-#)/))
没後、生地の渋民村に「啄木記念館」が建てられたんすが
「なんであんなヤツの記念館なんて建てなきゃならんのだ!」
と、反対する村人も少なくなかったようで…まあ青森の「寺山修司記念館」も「覗き魔の記念館なんぞ知らん…」などと地元では良い顔をしない方々がいるようですがなんか似てるなあ…(-_-#)
啄木は現実を歌ったのではなく心の渇きを歌に変えたんでしょうね…。
ある意味純粋…だから啄木って嫌いでは無いんですよね♪
昔、同郷の友人と宮沢賢治信奉者の知人で賢治、啄木の話になり
「賢治って聖人化されすぎだよな~」
とか
「もし賢治と同じ時代に同じ土地で生きていたら『賢さんは学もあって家も立派なんだから百姓の真似事なんてしないで貧しい農民のために違う形で協力してくれ』って言うよ」
などと同郷の友人と共闘し、言いたい放題言って宮沢賢治信者をイジメたことがありました…ハンセイ(-_-#)/))
宮沢賢治もけして嫌いではないんですがね(^0^)
後でその友人と
「俺たち賢治とは仲良くなれないけど啄木とは友達になれる気がするよな♪」
なんて話したもんです。
やはらかに
柳青める北上の
岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに…
啄木の実像を知ると尚更この歌がせつなく思えます…(-_-#)
え~!何だか炊く僕(←ヒェー!面白い誤変換)のイメージがぐゎらぐゎらとーー;;
後ほどゆっくりレスさせていただきますね。
んじゃまた~
いつも、CHAの目を覚まさせてくれるようなコメントありがとうございます。
聖人化されているパンクな人というと、一休さんも、かなーりパンクな方だったらしいですね^^
「啄木は嘘つき説」調べました。
なるほど~同級生も証言しているとのこと。
はぁ~そうだったのかぁ。
哀切極まりない啄木は、モノスゴイ自信家でもあったのかしらん?
寺山さんが住居不法侵入罪で捕まったという新聞記事覚えてますよ~
当時、天井桟敷の面々の写真を見て、かっこええなぁと思っていたので、ちょっとショックでした;;
賢治は、熱烈な法華経信者で思いっきりストイックというのが私のイメージですが、合ってる^^?
>「もし賢治と同じ時代に同じ土地で生きていたら『賢さんは学もあって家も立派なんだから百姓の真似事なんてしないで貧しい農民のために違う形で協力してくれ』って言うよ」
ウハハ^^!上手い!
でも、それができないのが賢治なんでしょうね。
家業を嫌悪。父との葛藤。
それは、結構どこにでもある反発心だったの?…崇高な魂の希求だったの?…
やはらかに
柳青める北上の
岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに…
あぁ、よく分かんない…
柔らかい柳(故郷の景色)が「泣け」と言っているように、目に映るのかしら?
でも、啄ちゃんとは、お友達になれそうなのね、よかった^^?
まあ自分も含めて男ってどうしようもないダメな部分とカッコ良く生きようっていう理想が綱引きするように生きているんだと思うんすよね…。
啄木ってどうしようもない人でウソ\を歌にするけど、歌人たろうとする想いにはウソ\をついてないんじゃないかな…なんて思うと憎めない気がするんですよね。
啄木って理想と現実の狭間で現実に負けて折れてしまったんでしょうね…(-_-#)
自我まるだしな子供で、よく言えば素直、悪く言えばわがまま…はた迷惑な人なんだけど憎めないんです…(-_-#)
『やはらかに…』
の歌は北上川を見ながら上手く折り合いのつかない世間と自分を悲しんだ歌なのかも知れないなあなんて思ったんですよね…(-_-#)
賢治の行動、生涯の背景に法華経はよく指摘されますね。
また、その深奥には疫病(らい病)を身内から出した家であったという背景を指摘する研究者もいますね。
かつて疫病を出すことは『けがれ』として村八分に値する事件であり、裕福で名士の家とはいえ陰では囁かれていたのかも知れませんね。
そんな中傷が多感な時期に賢治あったのでは…というような説でした。
『グスコーブドリの伝記』
『よだがの星』
などの重要な要素である『償い』や『献身』の種子がそこに垣間見えなくもない気がしますがどうなんでしょうか?
賢治の最後の選択、あばらやで暮らし、農民とならんとしたわけですが、ここにも心の綱引きが見えますよね。
教育者としても作家としても学者としても勿体無い晩年だと思います。
だから農民になろうとした賢治を無責任に讃える賢治信者にはわざと…
「(-_-#)…あれはただのボンボンの道楽の末だよ…」
って言います。
痩せた土地で百姓が求めたものは立派な指導者だったと思うからです…(-_-#)
ノートPCの指マウスは嫌いだー!!うぅ……。
ごめんなさい。思い出す限り、再カキコ;;
「男の人生は綱引き説」なーるほどぉ。
啄木に、歌人としてでなく、友人として付き合うと腐れ縁になるのでしょうか。
『やはらかに…』の解説ありがとうございます。
どーもピンと来なくて失礼致しました。
『グスコー・ブドリの伝記』の初版復刻本持ってますよ~♪
『よだかの星』も収録されています。
そのうち、記事をアップしたいな。
あ、『よだか』でなくて『よだが』なんだ…。
以前、盛岡も『もりおか』でなく『もりおが』だって仰ってましたよね^^
農家の長男である夫は、賢治の学校の後輩でもあるので、何となく親しみがわきます。
義父は誇りを持って「わしらは百姓」とも申しております。
>勿体無い晩年
確かにそうですね。もっと肉とか食って長生きしてほしかった。
・農学者として活躍する。
・生きてるうちに、作家・詩人として名をなす。
・大恋愛をして、子供を9人残す。
さぁ、どっち?
あぁ、なんてバチアタリなコメント;;
申し訳ございません;;