「アタイの名は今日からジョゼにする 山村ジョゼや」と、クミ子は管理人に宣言した。
管理人とはジョゼ(クミ子)の旦那の恒夫のことである。
これは私が今まで読んだ恋愛小説の中で(といっても大した数読んでないけど)一番好きな
「ジョゼと虎と魚たち」という田辺聖子の短編小説である。
田辺聖子作品は私が20代の頃、恋愛小説なるものを初めて読んだ作家で、当時付き合って
いた彼女が、僕の部屋に文庫本を忘れていったのがきっかけだった。
その本のタイトルが「孤独な夜のココア」だ。 いかにも甘ったるい愛の言葉を連発して
そうなタイトルなので彼女に勧められても全く読む気がしなかった。 当時の自分は、
夢枕獏とか菊地秀行などの漫画みたいに読めるSFアクションものしか読まなかったので、
こういった恋愛ものに対して偏見があったのだ。 パラパラっと読んではみたものの、
今まで読んできたものとは全く方式の違う文章で、わかりやすい起承転結はなかった。
淡々と語られるメリハリの無い大人の会話のやり取りは、僕が頭に描いていた「愛」とか
「恋」とは種類が違ううえにひどく退屈だった。 当然、20代でもまだまだ中身がガキ
だった僕には、とうてい理解できるものではなかったのだ。 当時の僕に想像できること
と言ったら、いつか別れた彼女が、僕の部屋に忘れていったこの文庫本を取りに来たついでに
よりを戻すといった陳腐なシナリオだった。 それから1年くらい経ってからだった。
未練を引きずる自分にも愛想が尽き、持ち主からも忘れられた文庫本を引越しのゴミと
一緒に処分した。 それから何年か経ち、再び田辺聖子作品に出会ったのは、仕事帰りの
途中で寄った吉祥寺のブックセンターだった。 入り口付近に積まれている平積みの
ポップに目が行った。 田辺聖子作「ジョゼと虎と魚たち」映画化決定。 え!?
映画化? 出版されたのはだいぶ前だったはずなのになんで今更…って感じだった。
この本のタイトルだけは知っていたが読んではいなかった。 文庫本化ということもあって、
帰りの電車で読むのにちょうど良いと思って買ってみた。 登場人物たちが全て関西人で
会話も全て関西弁というスタイルは相変わらずだった。その懐かしい文体に今度はスラスラと読めた。 あれから自分も色々と経験しているので、当時わからなかったことのあれこれがスッと気持ちに入ってくる。 そういうことか… ある程度年齢が行かないと理解できないのが
大人の恋愛小説だなと… 漫画であだち充しか読んでない僕はに、理解できなかったのも
無理はないと思った。 「ジョゼと虎と魚たち」(以下ジョゼ虎)は、九篇の作品を収録した短編集で、ジョゼ虎はその中の表題作だ。
主人公の山村クミ子(25才)は、祖母と二人で暮らしている。 子供の頃から脳性麻痺で、
上半身は健常者と変わりはないが、下半身が動かない。 車椅子がないと移動ができない
障害者だ。 ジョゼという名は、大好きなサガンの小説の主人公から取って、クミ子が自分に付けたあだ名だ。 貧乏大学生の恒夫は、ある日、ジョゼの乗った車椅子が坂の上から勢いよく転がってくるのを偶然通りかかって、車椅子にしがみ付いて助けたことがきっかけで知り合った。 助けてもらったお礼に、祖母が作ったご飯をご馳走したことから、その飯がやけに気に入り、時々タダ飯を目当てにやってくるようになる。 今度はそのお礼返しに、もう歳で車椅子を押すのが辛くなってきた祖母に代わって、恒夫がジョゼの車椅子を押すようになった。
なのにジョゼは恒夫に感謝などしない。 それどころか高飛車でわがままで、恒夫に容赦無く厳しい態度をとる。 トイレに行って少しでもジョゼを待たせると「オシッコなんかでアタイを待たせるな!」とか「さっさとしろ!ボケ、カス、死ね」などと恒夫に罵詈雑言を浴びせるのだ。 この主人公の性格の悪さは一体なんなんだ? 口も悪いし、態度もデカイ。 こんな可愛げのない主人公に感情移入なんてできない。 途中まで読んで本を閉じかけたけど、やはりどことなく憎めないジョゼというキャラクター。 この二人の関係がどうなっていくのか気になってくるのだ。