相模台団地内で、コンパクトタウン計画をURが打ち出し、団地住民と争いが起きたのは約7年前のことだ。
相模台団地コンパクトタウン計画とは団地敷地内に病院、薬局や保育園などを建設し団地内をひとつのまちのようなものに集約することであった。
要は、UR の抱える建設会社に仕事を与えることが目的であり、相模台団地の住民のための計画とは、はっきり言って建前以外のなにものでもなかった。
そのコンパクトタウン計画の代償に、相模台団地の憩いの広場や公園などが取り壊されることが決定し、相模台団地住民の心に暗い陰を落としていた。
相模台団地の初老の男は闘っていた。
相模原市役所の建築審査課など15回は通い、当時の市議会議員にもかけより、陳情書を提出した。
当時は金子ときお議員、中村ともなり議員、溝渕誠之議員、久保田義則議長らが相模台団地の住民の陳情などに対応してくれた。
相模原市が建設の許可をすでに出してしまったのだが、当時の議長は住民の気持ちを考えて工事の着工を半年ほど遅らせてくれた。
当時の市長である加山俊夫市長は、この騒動に
「庶民の分際で、陳情を出すなんて生意気だ」と発言した。
市長が発した言葉はめぐりめぐって初老の男の耳に入った。
壁に耳あり障子に目ありだ。
相模台団地の初老の男はサラッと過去の話をしたけれど
私は、このように思った。
市長はパブリックサーバントだよね?
公僕だよね?
庶民が陳情を出したことに対処するの仕事だよね?
庶民が陳情を出して生意気なって、加山元市長って勘違いしてるよね?
初老の男は、団地の小さな子ども達にもらった絵手紙の話を嬉しそうに話した。
子ども達の絵手紙には、このように書かれていた。
「おじさん、頑張って、僕たちの広場を守ってください。」
彼は、相模台団地の自治会から狂人だの馬鹿だの言われているが、それは違う
彼は、狂人ではなく強靭だ。
そして、馬鹿はあっているが言葉が足りない、
彼は馬鹿正直なんだ。