おれがおれがの 『が』を捨てて、
どうもどうもの 『も』で暮らせ…
功績を譲ったり、責任をかぶったり
そのようなことは偽善を嫌う雰囲気の
今の…現代!社会!なかなか難しい。
誰の功績?
誰の過失?
明白であるような環境が好ましいと
正しいと考えられている。
昔気質の方々が、現代の生きにくさ・・・
息苦しさを感じてるところなんでしょうね。
間違いが起これば自分のせい、
功績があれば仲間に譲る…
「このような姿勢がとれるようにならないとなあ!」
どうもどうもの 『も』で暮らせ…
功績を譲ったり、責任をかぶったり
そのようなことは偽善を嫌う雰囲気の
今の…現代!社会!なかなか難しい。
誰の功績?
誰の過失?
明白であるような環境が好ましいと
正しいと考えられている。
昔気質の方々が、現代の生きにくさ・・・
息苦しさを感じてるところなんでしょうね。
間違いが起これば自分のせい、
功績があれば仲間に譲る…
「このような姿勢がとれるようにならないとなあ!」
うわっぱねして知らん顔(笑)確かに増えたね
入り口をきちっとしない
常に自分にとってメリットがあるのか?ないのか?
「昔から正直者はバカを見る」って言葉があるくらいだから
今に始まったことじゃないかもね。
白か黒か!ONかOFFか
一つ事件がおきれば、全てに網をかけてしまう
そこに基準を合すか!?って
驚いてしまうことが増えた。
ルールの作り方が、短絡的過ぎると思う
>じゃいさん・・・
常に自分に「メリットоrデメリット・・・??」
その様な考え方は多いですね。
そして、ルールの作り方も短絡的というか・・・
個人や個性というものが「わがまま」ということになって
しまってたりしますね。
実は許容範囲が狭くてストレスがたまる(笑)