漫画アプリで、「超訳 百人一首」という漫画があることを知り、
毎日少しずつ読んでいます。
今日は紀貫之
幼名を「内教坊の阿古久曽(あこくそ)」と称したという。貫之の母が内教坊出身の女子だったので、貫之もこのように称したのではないかといわれる。
延喜5年(905年)醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集である『古今和歌集』を紀友則・壬生忠岑・凡河内躬恒と共に撰上。
記紀などの所伝によれば、孝元天皇の子孫で、武内宿禰の子である紀角を始祖とするが、この2代はともに母方が紀伊国造家の出自であったとされており、この関係から紀氏は早くから武門の家柄として大和王権に仕えたらしい。
天智天皇朝には大人が御史大夫となり、奈良時代に入ってからは、麻呂が大納言、麻路が中納言、飯麻呂が参議となっている。諸人(贈太政大臣)の女橡姫と志貴皇子との間に生まれた白壁王が光仁天皇として即位すると、その外戚としてさらに繁栄し、桓武天皇朝までに広純と家守が参議に、船守と古佐美が大納言に昇った。彼らは奥羽における蝦夷叛乱の鎮定など軍事面での活躍も特筆されるが、平安時代初期には藤原北家の隆盛に圧倒されるようになる。広浜・百継以降は公卿に昇る者が途絶え、名虎が娘を入内させるが家運は好転せず、応天門の変で夏井が配流されると一族は衰退した。宇多天皇に重用された長谷雄より後は、政治・軍事面で活躍する機会がほぼなくなり、淑望・在昌や貫之・友則・時文などの文人・歌人を輩出するに留まる。
今、漫画アプリで、「応天の門」という菅原道真の漫画も読んでいるのですが、
お話の中でいつもドジを踏んでいる 紀長谷雄 って、
実在したんですね。(笑) しかも偉くなっている!
そして、讃岐の国司として、領民に人気のあった紀夏井が「応天門の変」で
罰せられ、土佐へ流されることに😨
「応天の門」の中で、度々、悪事を働いていた、獣のような男・紀豊城が、紀夏井の弟だったとは!😱
歴史の本を読んだだけではなかなか頭に入ってきませんが、漫画で読むと
わかりやすいです。漫画、おすすめ。
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