自分の死を考える集い開催スケジュール掲示板

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の著書である父中村仁一が皆様へ遺言としてお伝えしたかった内容を載せております

中村仁一の遺言「自宅で死にたいなら それなりの覚悟と信念が必要」その2

2020-11-21 23:27:50 | 日記

その理由は3つあります(その1より)

第一に、「同和園」在籍20年間に、発見時

手遅れで痛みがなければ、その後「がん」に

対して何の手出しもしないなら穏やかな

最期を迎えられるという患者に100人以上

出会ったことです。(肺がんは14人)

第二は父親の死にっぷりです。

親父は20歳の時、ものが二重に見える

といって眼科に行き目薬と塩酸か硫酸かの

劇薬を間違えられて目にさされ

瞬時に失明という憂き目に会いました。

(失明前の若き頃の親父)

医者になろうと思っていた望みを断たれ、

何回も自殺を図ったようです。

 

(失明後)

その後、鍼灸で生計をたてていたのですが、

死ぬ半年前ぐらいから週に3~4回食道が

よじれるといって油汗を流すような発作に

見舞われるようになったのです。

わたし達が「明日は仕事を休んだら」と

いうと「うん」と うなづきながらも

翌日はいつも通り仕事をしていました。

最後の日も、1日の仕事をし、

夜の9時すぎ旧に倍する発作に襲われた

のでしょう。わたしの目の前で胸を

掻きむしりながら、脱糞、失禁して

あっという間に事切れてしまいました。

それまで1日も仕事を休まず、また、

ただの一度も愚痴や弱音を口にすることは

ありませんでした。

 

切迫心筋梗塞だったと思うのですが、

あれは死の恐怖があったはずですが、

一度地獄をみた人間の強さなのでしょう。

これは、自分で引き受けるしかないと

覚っていたのではないかと思われます。

(親父から一度もいわれたことは

なかったのですが医者になろうと

思ったのは、高校2年のこの頃です。)

この親父の死にっぷりが

「今の呼吸困難は、4の5のいったところで

所詮、お前自身で引き受けるしかないんだよ」

教えてくれている気がするのです。

だから入院したくないということもあって

「しんどい」「苦しい」は口にしないようにしています。

(その3へ続く)

 


中村仁一の遺言「自宅で死にたいなら それなりの覚悟と信念が必要」その1

2020-11-21 13:24:35 | 日記

2020年6月までは、何らの自覚症状も

ありませんでした。

(がんはひそかに進行していたのでしょうが)

その後 早足で歩くと 息切れがするように

なり、さらに坂道や階段を上がる時に

一層ひどくなり、小高い丘の上にある

「同和園」に辿りつくまで2-3回、

数分間の休憩をとらなければならない

状態になりました。

そして体重も12-13kg減りました。

流石にこれはと思い、「同和園」に月に2回

放射線技師が来園しますので、8月22日に

胸部のレントゲン写真を撮って

もらったところ、右の肺がんが

判明したわけです。

 

これまで『どうせ死ぬなら「がん」がいい』と

いったり、書いたりしてきましたし、「がん」に

対して何の手出しもしていませんので持論の

如く「痛み」はありません。

恐らく、このまま最後まで「痛み」は出ない

だろうと思ってます。

しかし、ものには例外ということも

ありますので、ひょっとすると「痛み」が

出るかもしれません。

その時には「前世で余程悪いことを

した報い」と諦め、麻薬を使う事も

吝かではありません。

ただ「痛み」はありませんが、呼吸困難には

閉口しています。

 時折「死ぬのが怖くありませんか」と

尋ねられることがあります。

怖くないといえば嘘になります。しかし医療と

あまりかわかりを持たず、自然な死にゆく姿

周囲に見せて逝くという最後の務めが

残されているということを考えれば

怖がってばかりもいられません。

事実、それほどオタついていないのも

本当です。

その理由は3つあります。(その2へつづく)


現在発売中の「週刊現代」に 中村仁一掲載されております。

2020-11-21 13:00:38 | 日記

先日週刊現代さんが 取材に来られ 現在発売中の「週刊現代」に

 掲載されております。

また これとは別に 父より 「中村仁一の遺言」なるものの原稿を

預かっておりますので追々掲載させていただきます。

10pほどあるため 何回かに分けて掲載する可能性もございます。