その理由は3つあります(その1より)
第一に、「同和園」在籍20年間に、発見時
手遅れで痛みがなければ、その後「がん」に
対して何の手出しもしないなら穏やかな
最期を迎えられるという患者に100人以上
出会ったことです。(肺がんは14人)
第二は父親の死にっぷりです。
親父は20歳の時、ものが二重に見える
といって眼科に行き目薬と塩酸か硫酸かの
劇薬を間違えられて目にさされ
瞬時に失明という憂き目に会いました。
(失明前の若き頃の親父)
医者になろうと思っていた望みを断たれ、
何回も自殺を図ったようです。
(失明後)
その後、鍼灸で生計をたてていたのですが、
死ぬ半年前ぐらいから週に3~4回食道が
よじれるといって油汗を流すような発作に
見舞われるようになったのです。
わたし達が「明日は仕事を休んだら」と
いうと「うん」と うなづきながらも
翌日はいつも通り仕事をしていました。
最後の日も、1日の仕事をし、
夜の9時すぎ旧に倍する発作に襲われた
のでしょう。わたしの目の前で胸を
掻きむしりながら、脱糞、失禁して
あっという間に事切れてしまいました。
それまで1日も仕事を休まず、また、
ただの一度も愚痴や弱音を口にすることは
ありませんでした。
切迫心筋梗塞だったと思うのですが、
あれは死の恐怖があったはずですが、
一度地獄をみた人間の強さなのでしょう。
これは、自分で引き受けるしかないと
覚っていたのではないかと思われます。
(親父から一度もいわれたことは
なかったのですが医者になろうと
思ったのは、高校2年のこの頃です。)
この親父の死にっぷりが
「今の呼吸困難は、4の5のいったところで
所詮、お前自身で引き受けるしかないんだよ」
と教えてくれている気がするのです。
だから入院したくないということもあって
「しんどい」「苦しい」は口にしないようにしています。
(その3へ続く)