ここしばらく、命の危険を感じてた。
新型コロナウイルス罹患の可能性が完全には否定できない状況で、微熱が続き、息苦しさもあり、これは、本当にまずいんでなかろうか、と思った。
が、私の住む町では患者の受け入れや検査体制が整っていなかったので、病院にも行けない。
その状況でたった一人で幾晩も幾晩も過ごした。
特に、新型コロナウイルス感染症では、普通にしていた人が急激に体調が悪化する場合があって、いきなり電話もできない状況になった事例があるようなので、一人暮らしでそうなったら、終わりだな、と思ってた。
だから、身辺整理した。
私自身にはたいした遺産はなくて、やっすい葬式出して後始末したら終わりぐらいのものしかないけれど、貴重な植物標本などは手元にある。
もしもの時に、自分ちにある植物標本を捨てられないように、目立つところに「〇〇へ寄贈すること」、などと書いて張っておいた。
なにかやってると、気がまぎれるから。
ここで新型コロナウイルス感染症で死んだら、家族も風評被害にさらされるのかな、特に実家はそれに耐えられるだけ強くないから、心配だな、なんてことを考えた。
けど、いくらその対抗策を考えても、答えは出なかった。
家族とは、この感染症の疑いのある状況では、直接会うことはできない
結局、離れたところに暮らす家族と、1日3回安否確認の電話をした。
急激に状態が悪化しても、すぐにわかるように。
だから、トイレに行ってたりなんだりして、なんかの拍子に電話に出られないと、ものすごく心配された。
電話のたびに、お互い、心残りがないように、今まで言ってなかったことを言っておこう、といった雰囲気が流れた。
(普段憎まれ口しか言わない家族が私をほめてきたときは、なんかキモチワルイと思ってしまったことはナイショ)
だから、新型コロナウイルス感染症ではない、もしくは感染していたとしてもすでに回復したとようやく判断された今、脱力して何もする気力がわかない。
牢獄に入れられて、いきなり解放されたら、こんなかな、と思ったり。ま、まだ、自粛は続いているけど。
そして、今日は、3月11日。
東北で、大震災があった日。
震災当時、うちの車は津波で流されて、つれあいとは1週間以上も連絡つかなくて、ただ一人で心配しているしかなかった。
徐々に薄くなってきていた切迫したその思い出が、形の違う災害である新型コロナウイルス騒ぎで、また鮮明になった気がする。
そういった負の思い出がよみがえる一方で、普段はほとんど気にとめていない、心配してくれる人の存在も、鮮明に。
で、信じられないだろうけど、そういった時って、逝ってしまった人の気配も感じたりもする。
生きてる人だけじゃなく、逝った人も、心配してくれてるんだな、と。
今、マスクなしであちこち気軽に出歩いている人たちも、やっぱり一定数いるみたい。あちこちで漏れ聞こえてくる。
多分、こういう命の危険があるということに、気が回らない、もしくは見ないようにしているんだろうな、などと思ったりする今日この頃。
(何度も書くが、マスクがないなら、簡単に作れる簡易マスクしてください。ここにも書いたし、検索すればすぐ出てくるし。それでもしないってのは、マスクは自分じゃなくて周囲の人のため・・・ってのがネックなんだろうか???)
新型コロナウイルス罹患の可能性が完全には否定できない状況で、微熱が続き、息苦しさもあり、これは、本当にまずいんでなかろうか、と思った。
が、私の住む町では患者の受け入れや検査体制が整っていなかったので、病院にも行けない。
その状況でたった一人で幾晩も幾晩も過ごした。
特に、新型コロナウイルス感染症では、普通にしていた人が急激に体調が悪化する場合があって、いきなり電話もできない状況になった事例があるようなので、一人暮らしでそうなったら、終わりだな、と思ってた。
だから、身辺整理した。
私自身にはたいした遺産はなくて、やっすい葬式出して後始末したら終わりぐらいのものしかないけれど、貴重な植物標本などは手元にある。
もしもの時に、自分ちにある植物標本を捨てられないように、目立つところに「〇〇へ寄贈すること」、などと書いて張っておいた。
なにかやってると、気がまぎれるから。
ここで新型コロナウイルス感染症で死んだら、家族も風評被害にさらされるのかな、特に実家はそれに耐えられるだけ強くないから、心配だな、なんてことを考えた。
けど、いくらその対抗策を考えても、答えは出なかった。
家族とは、この感染症の疑いのある状況では、直接会うことはできない
結局、離れたところに暮らす家族と、1日3回安否確認の電話をした。
急激に状態が悪化しても、すぐにわかるように。
だから、トイレに行ってたりなんだりして、なんかの拍子に電話に出られないと、ものすごく心配された。
電話のたびに、お互い、心残りがないように、今まで言ってなかったことを言っておこう、といった雰囲気が流れた。
(普段憎まれ口しか言わない家族が私をほめてきたときは、なんかキモチワルイと思ってしまったことはナイショ)
だから、新型コロナウイルス感染症ではない、もしくは感染していたとしてもすでに回復したとようやく判断された今、脱力して何もする気力がわかない。
牢獄に入れられて、いきなり解放されたら、こんなかな、と思ったり。ま、まだ、自粛は続いているけど。
そして、今日は、3月11日。
東北で、大震災があった日。
震災当時、うちの車は津波で流されて、つれあいとは1週間以上も連絡つかなくて、ただ一人で心配しているしかなかった。
徐々に薄くなってきていた切迫したその思い出が、形の違う災害である新型コロナウイルス騒ぎで、また鮮明になった気がする。
そういった負の思い出がよみがえる一方で、普段はほとんど気にとめていない、心配してくれる人の存在も、鮮明に。
で、信じられないだろうけど、そういった時って、逝ってしまった人の気配も感じたりもする。
生きてる人だけじゃなく、逝った人も、心配してくれてるんだな、と。
今、マスクなしであちこち気軽に出歩いている人たちも、やっぱり一定数いるみたい。あちこちで漏れ聞こえてくる。
多分、こういう命の危険があるということに、気が回らない、もしくは見ないようにしているんだろうな、などと思ったりする今日この頃。
(何度も書くが、マスクがないなら、簡単に作れる簡易マスクしてください。ここにも書いたし、検索すればすぐ出てくるし。それでもしないってのは、マスクは自分じゃなくて周囲の人のため・・・ってのがネックなんだろうか???)