okinatchiの四次元徘徊記

 毎日の出来事を書き綴ります。

8月5日

2012-09-05 22:23:50 | 日記
   9月5日
 晴れ。午前6時の屋外気温は29℃であった。丹羽駐中国大使の乗用車に付けてあった日章旗を強奪した中国人が中国で行政処分されたことが新聞やTVニュースで報じられていたが、ふと日本国内で駐日中国大使の乗用車から中国の国旗を強奪したときに日本では犯人をどのように処分するのかな~、と思った。

 午前8時頃に友人宅につく。友人宅の直ぐ後の土地に建っている家屋の解体作業が行なわれていて時々地震のような振動が伝わってくるので心配になった。午前10時過ぎに車椅子に乗った友人をAクリニックに連れて行き、私はTo駅近くの商店やスーパーIなどで買い物をして友人宅に戻る。

 午前11時半頃に友人から電話があったので友人を迎えにAクリニックに行く。友人を友人宅に連れ戻ってから昼食を摂る。午後3時頃に帰途につく。汗びっしょりになって家に戻ったので直ぐに風呂で汗を洗い流した。天気予報では明日から涼しくなるだろう、と報じていたが、そんな予報は当てにならないから、多分暫くは残暑厳しい日々が続くだろうと思うとうんざりする。

 この暑さ 何時まで続く 涼恋し   徘(徊)人 okinatchi 

 午後7時半頃に外国に住んでいる友人X氏が、自分が住んでいる都市の高級ホテルに泊まっていていい気分で私に電話して来たらしかった。私はokinatchiの四次元徘徊記に、日本国がオキュパイドジャパンであった時期に第三国人が暴れ回った話を時たま書いてきているのだが、X氏は以前に私の書いた第三国人が暴れ回った話のことを読んだときに、日本には警察があるのにどうして第三国人が暴れ回るのを取り締まらなかったのか? と不思議に思っていたのだが、最近になってオキュパイドジャパンの時期の日本の警察が第三国人の不法行為を取り締まることが出来なかった訳が分かった、と話したのを聞いて、第三国人が暴れ回ったころの何とも情けない有り様は現在八十歳を超えているジサマやバサマでないと分からないだろうな~、と思った。

 オキュパイドジャパン当時の日本の新聞で第三国人の悪事を報じていない日は無かったし、そのような記事を読む度に第三国人に対して何も出来ない哀れな祖国を悲しく思ったのだった。あの当時から七十年近くを経た現在、離島を巡ってマタゾロ、当時の第三国人の子孫の人達が法を無視して暴れ回りそうな雰囲気が感じられるので本当にイヤ~ナ気分である。

8圧5日

2012-09-05 22:22:28 | 日記
   9月5日
 晴れ。午前6時の屋外気温は29℃であった。丹羽駐中国大使の乗用車に付けてあった日章旗を強奪した中国人が中国で行政処分されたことが新聞やTVニュースで報じられていたが、ふと日本国内で駐日中国大使の乗用車から中国の国旗を強奪したときに日本では犯人をどのように処分するのかな~、と思った。

 午前8時頃に友人宅につく。友人宅の直ぐ後の土地に建っている家屋の解体作業が行なわれていて時々地震のような振動が伝わってくるので心配になった。午前10時過ぎに車椅子に乗った友人をAクリニックに連れて行き、私はTo駅近くの商店やスーパーIなどで買い物をして友人宅に戻る。

 午前11時半頃に友人から電話があったので友人を迎えにAクリニックに行く。友人を友人宅に連れ戻ってから昼食を摂る。午後3時頃に帰途につく。汗びっしょりになって家に戻ったので直ぐに風呂で汗を洗い流した。天気予報では明日から涼しくなるだろう、と報じていたが、そんな予報は当てにならないから、多分暫くは残暑厳しい日々が続くだろうと思うとうんざりする。

 この暑さ 何時まで続く 涼恋し   徘(徊)人 okinatchi 

 午後7時半頃に外国に住んでいる友人X氏が、自分が住んでいる都市の高級ホテルに泊まっていていい気分で私に電話して来たらしかった。私はokinatchiの四次元徘徊記に、日本国がオキュパイドジャパンであった時期に第三国人が暴れ回った話を時たま書いてきているのだが、X氏は以前に私の書いた第三国人が暴れ回った話のことを読んだときに、日本には警察があるのにどうして第三国人が暴れ回るのを取り締まらなかったのか? と不思議に思っていたのだが、最近になってオキュパイドジャパンの時期の日本の警察が第三国人の不法行為を取り締まることが出来なかった訳が分かった、と話したのを聞いて、第三国人が暴れ回ったころの何とも情けない有り様は現在八十歳を超えているジサマやバサマでないと分からないだろうな~、と思った。

 オキュパイドジャパン当時の日本の新聞で第三国人の悪事を報じていない日は無かったし、そのような記事を読む度に第三国人に対して何も出来ない哀れな祖国を悲しく思ったのだった。あの当時から七十年近くを経た現在、離島を巡ってマタゾロ、当時の第三国人の子孫の人達が法を無視して暴れ回りそうな雰囲気が感じられるので本当にイヤ~ナ気分である。