10月20日(日)
曇り、雨。 朝6時の屋外の気温は15℃であった。御厨貴氏が司会している早朝の時事放談では自民党の石破氏と民主党の前原氏とが色んな問題について論じていた。時事放談に続いて視聴したTV番組では以前に長寿県として知られていた沖縄県が今では長寿県ではなくなった原因として、若者がアメリカ風の食事に変わったことを挙げており、また、長寿のためには足腰を鍛えることが大切なこと、などを報じていた。
午前中のTVニュースショウ番組では、靖国神社参拝への総理大臣の参拝に対して韓国が騒ぎ出したのはノムヒョン大統領時代以後であり、それ以前に中曽根総理が靖国神社に参拝したときには韓国は何も騒がなかったではないか、とか、色んなことが話されていた。
このTV番組には桝添氏や竹田氏や西尾氏や三宅氏、他の各氏が出演していて、とても有益な話をしていた。例えば、桝添氏は大東亜戦争中の新聞を見せて、朝鮮半島の人にも選挙権があったことを説明したり、炭鉱での作業も内地の日本人労働者と朝鮮半島の人も同じ職場で同じ労働条件でも働いていたことなどを説明していたが、私はこのようなことは韓国の教科書には書かれていないのだろうと思った。
何れにしても、今の韓国では事実と異なることを述べている反日教科書を使って国民の教育を行なっているから、そのような教育を受けて育ったパククネ大統領も反日になっているのだ、というような話を聞くとそうかも知れないとも思え、とにかく韓国でも正しい歴史を教えて国民に正しい歴史認識を持って貰いたいと思った。
現在83歳になっている私が尋常小学校に入学したのは昭和11年の4月であり、その年から尋常小学校で使用する国定教科書が全面的に新しいものに変わっていて、私よりも3歳年上の兄は 第一頁が ハト マメ‥ ‥と書かれている国語の教科書で勉強していたのに、私は第一頁が サイタ サイタ サクラガ サイタ と書かれている国語の教科書で国語を習ったのであり、この教科書の始めから数ページ後のページには ヒグチコヘイ ハ シンデモ ラッパ ヲ クチカラ ハナシマセンデシタ という日露戦争時における大日本帝国陸軍のラッパ卒の戦死したときの状況が書かれていた。
小学校一年生の私達は小学校に入学して間もない日に、早くも日露戦争で進軍ラッパを吹きながら敵弾に当たって死んだラッパ手のことをネタに、近い将来に大日本帝国の軍隊の兵隊となるであろう幼い子供達に、軍国教育が施こされ始めていたのであり、それから昭和20年の8月15日に日本が戦争を止めるまでの9年間は軍国教育、軍事訓練などが施されていたので、その影響は敗戦後の数十年後にまで私自身に及んでいたことを考えると、韓国や中国において実施されていると言われている反日教育の影響は今後数十年も続くと思われるので本当に困ったことだと思う。
一方、戦後における日本の歴史教育も間違っているのかも知れない、とも思えるので、わが国の歴史教育についても考え直して欲しいと思う。
間違った 歴史教育 やめにして 徘(徊)人 okinatchi
曇り、雨。 朝6時の屋外の気温は15℃であった。御厨貴氏が司会している早朝の時事放談では自民党の石破氏と民主党の前原氏とが色んな問題について論じていた。時事放談に続いて視聴したTV番組では以前に長寿県として知られていた沖縄県が今では長寿県ではなくなった原因として、若者がアメリカ風の食事に変わったことを挙げており、また、長寿のためには足腰を鍛えることが大切なこと、などを報じていた。
午前中のTVニュースショウ番組では、靖国神社参拝への総理大臣の参拝に対して韓国が騒ぎ出したのはノムヒョン大統領時代以後であり、それ以前に中曽根総理が靖国神社に参拝したときには韓国は何も騒がなかったではないか、とか、色んなことが話されていた。
このTV番組には桝添氏や竹田氏や西尾氏や三宅氏、他の各氏が出演していて、とても有益な話をしていた。例えば、桝添氏は大東亜戦争中の新聞を見せて、朝鮮半島の人にも選挙権があったことを説明したり、炭鉱での作業も内地の日本人労働者と朝鮮半島の人も同じ職場で同じ労働条件でも働いていたことなどを説明していたが、私はこのようなことは韓国の教科書には書かれていないのだろうと思った。
何れにしても、今の韓国では事実と異なることを述べている反日教科書を使って国民の教育を行なっているから、そのような教育を受けて育ったパククネ大統領も反日になっているのだ、というような話を聞くとそうかも知れないとも思え、とにかく韓国でも正しい歴史を教えて国民に正しい歴史認識を持って貰いたいと思った。
現在83歳になっている私が尋常小学校に入学したのは昭和11年の4月であり、その年から尋常小学校で使用する国定教科書が全面的に新しいものに変わっていて、私よりも3歳年上の兄は 第一頁が ハト マメ‥ ‥と書かれている国語の教科書で勉強していたのに、私は第一頁が サイタ サイタ サクラガ サイタ と書かれている国語の教科書で国語を習ったのであり、この教科書の始めから数ページ後のページには ヒグチコヘイ ハ シンデモ ラッパ ヲ クチカラ ハナシマセンデシタ という日露戦争時における大日本帝国陸軍のラッパ卒の戦死したときの状況が書かれていた。
小学校一年生の私達は小学校に入学して間もない日に、早くも日露戦争で進軍ラッパを吹きながら敵弾に当たって死んだラッパ手のことをネタに、近い将来に大日本帝国の軍隊の兵隊となるであろう幼い子供達に、軍国教育が施こされ始めていたのであり、それから昭和20年の8月15日に日本が戦争を止めるまでの9年間は軍国教育、軍事訓練などが施されていたので、その影響は敗戦後の数十年後にまで私自身に及んでいたことを考えると、韓国や中国において実施されていると言われている反日教育の影響は今後数十年も続くと思われるので本当に困ったことだと思う。
一方、戦後における日本の歴史教育も間違っているのかも知れない、とも思えるので、わが国の歴史教育についても考え直して欲しいと思う。
間違った 歴史教育 やめにして 徘(徊)人 okinatchi