okinatchiの四次元徘徊記

 毎日の出来事を書き綴ります。

12月1日

2013-12-01 13:25:42 | 日記
  12月1日(日)
  晴れ,曇り。 朝6時の屋外の気温は9℃であった。起床して直ぐに住居前を約1時間歩いた。日曜日の早朝6時から放送された時事放談は御厨貴氏の司会の下に、仙谷氏と益田氏とが徳州会の徳田氏から5000万円を借りたという猪瀬東京都知事の問題、中国が尖閣諸島も含むような防空識別圏を設定したことに関連する問題、秘密保護法案に関連する問題などを論じていた。

 新聞やTVニュースで、中国が東シナ海の上空に設定した防空識別圏内を米国の民間航空機が飛行する際に、事前に中国側へ飛行計画を提出することを民間航空会社に促したということを報じていたが、思わず、ナゼ!! と呟いた。一体、アメリカは何を考えているのだろう、と首を捻り、これじゃ~、安倍さんも困っちゃうょな、と思った。

 午前中のTVニュースショウ番組で、秋葉原の高架下で64年間営業していたラジオストアが店じまいすることになったことを報じていたのを聞いて、神田駅から神保町あたりまでの道路に並んで商売していたラジオストアの前身であるラジオ部品の露天商時代から電子部品を買っていた私は、一抹の寂しさを覚えた。

 私は昭和24年の春に上京してから半ドンであった土曜日の午後は、勤め先の役所をでて虎ノ門駅から神田駅まで地下鉄銀座線の電車で行き、神田駅から神保町の三省堂あたりまでの道路にびっしりと並んでいたラジオ部品の露天商を覗いて歩き、旧帝国陸海軍で使っていた無線機の部品などを見つけては買って帰ったものだった。

 その露天商がマッカーサー司令部の命令で秋葉原のガード下に移されてからは、秋葉原のガード下の店に良く買いに行ったものだった、などと、昔のことを懐かしく思いだした。昭和30年の11月にTo子さんと結婚し、その一年後にTo子さんからTV受像機を作ってくれと頼まれたので、TV受像機を作るために部品を買い集めたのも秋葉原だった。

 長男が子供のころに一緒にトランシーバーを買いに行ったり、昨日、To神社で結婚式をあげた孫が幼稚園のころに、孫からコンピュータシステムを構成して貰ったお礼に孫が欲しいというインターネットの本を買いに小雨が降っていた夕方の秋葉原に行ったりしたことなど、私にとっての秋葉原は非常に思い出が多いところである。

 現在の秋葉原付近は変な格好をした女の子がご主人様などと呼びかける店が多いとか、変われば変わるものだ。

  思い出が 次々浮かぶ 秋葉原 ラジオストアの 廃業ニュース  徘(徊)人 okinatchi