okinatchiの四次元徘徊記

 毎日の出来事を書き綴ります。

12月8日

2013-12-08 12:47:11 | 日記
12月8日(日)の1
  晴れ。 午前6時の外部気温は10℃であった。起床後、直ぐに住居前を40分間歩いた。今日は68年前に大東亜戦争が開始された12月8日である。私は これまで12月8日には大東亜戦争が開始された日の想い出話を綴ってきたことが多く、例えば、平成15年の12月8日には 【 今から62年前の昭和16年当時に私が暮らしていた東北地方の小都市の朝は積雪20cmの新雪に覆われていて白く輝いていた。 その日の朝に大日本帝国は後に大東亜戦争と命名された大戦争に突入したのであった。

 小学校六年生だった私は雪の中を登校して1時間目の授業の始まるまでの間に同級生達が興奮して語るハワイの米太平洋艦隊全滅の話の輪の中にいた。 その日の朝の始業前に30cmの深さの新雪の校庭を大勢の同級生達と はだし で駆け回ったのも、日本が大戦争に突入したことに子供ながらに興奮したからであったろう。 昭和16年の4月頃からの日米交渉の状況を毎日の新聞報道で読んでいて、日米間が風雲急を告げていることを肌で感じていたし、どうにもならない逼塞感を覚えていたから、戦争突入と同時の大戦果の発表で雪の中を駆け巡るという行動をとったのだろう。

  毎年の 師走八日は 懐古の日  徘(徊)人 okinatchi 

 今、考えてみると、米国と戦争をして敗戦し、米国軍の占領下におかれた、ということが、現在の自由な日本をもたらしたと考えられるのであり、仮に、日本が米国によって無一物の国になるまでにコテンパンに やっつけられていない状態で旧軍部が残されていたとしたならば、その後の日本がどのようになっていたのであろう、と思うと、ゾ~ッとするのであり、この半世紀間の日本はツイテいたのだ、と思わざるを得ないのである。
 
 新聞には 「 エッ!日本とアメリカとが戦争したことが あったの? 」と、聞く子がいる、との話を驚き調で書いてあったが、私が子供のころに、その頃から僅30年前に行われたロシア帝国との戦争を、遠い神代の話のように感じていたことから類推しても、今の子が60年前の大東亜戦争のことを知らなくても何ら不思議でもないと思う。

  前大戦 遥か遠くに なりにけり  徘(徊)人 okinatchi

 ところで、大東亜戦争後に日本の戦争犯罪を裁くために行われた東京裁判が、勝てば官軍の理屈の罷り通った裁判であって、大日本帝国がロシアの南下政策やアジアに進出した西欧列強の脅威から 列強に伍して自国をまもるため に戦争を行わなければならなかった、という日本の主張は東京裁判で抹殺されてしまったこと、戦争を起こさせた原因を作った国の戦争責任には言及もされなかったなどのことは、裁判が行われていた当時の毎日の新聞に載っていた裁判の内容を読んでいた70歳代以上の人達にはよく判っているところだが、今の日本国民の大部分の人達は東京裁判が行われた頃に毎日の東京裁判の新聞記事を読む年齢には達してはおらず、その人達は東京裁判の結果に基づいて記述された歴史書などを読んで育っている人であろうから、その人達と私達との間には大東亜戦争についての考え方について断層があるのかも知れないな、などと感じたが、事実は後世史家が明かにしてくれるだろう。

   歴史書は 勝った当事者 記述して  徘(徊)人 okinatchi 】 のように書いていた。


12月8日

2013-12-08 12:40:01 | 日記
  12月8日(日)の2
また、平成16年12月8日には 【 昭和十六年十二月八日の朝の大本営発表のラジオ放送を聞いた十一歳のときの思い出は、あれから五十八年の年月を経過した今朝でも鮮明に頭に浮かぶ。

 当時、国民学校(小学校が国民学校と改称されていた)六年生であった私は、翌年三月に行なわれる筈の旧制中学校の入学試験の準備のために、六年生になった この年の四月に教師が中等学校の進学希望者に対して 日刊紙を毎日読むようにと指導したことに忠実に従って家で購読していた朝日新聞を丁寧に読んでおり、日米交渉の内容、世界情勢、国民を戦争に駆り立てるような新聞の論調、などから、早晩、戦争が始まるのでは、と大多数の国民が心の中で思っていることが判っていたので、この日の朝の開戦を知らせる大本営発表を聞いたときには アッ! とうとう始まったか! と感じたのだった。 この日の朝に降り積もった30cmの新雪を蹴散らしながら歩き屋根に うずたかく雪が積もっている奉安殿に最敬礼してから登校した学校では朝礼が始まるまでの時間を級友達と校庭に降り積もった新雪の中を開戦のニュースを聞いたことによる興奮で はだしで走り回って過ごしたのだった。

   新雪を 裸足で走り 蹴散らした 遠い昔の 開戦の日に  徘(徊)人 okinatchi

 大東亜戦争が始まった昭和十年代における諸学校の校門近くには天皇、皇后両陛下の御真影(写真)を納めてある奉安殿(最初は 奉安庫 とよばれていた)と称する建築物があり、国家の祝日などに学校で挙行される式典には校長と教頭とが奉安殿から天皇、皇后両陛下の御真影を うやうやしく式場まで運んできて式場の正面に飾ってから式典が挙行されていたものだった。

 また、学校に出入りする すべての人達は奉安殿の前で最敬礼をしてから通ることが義務付けられていたのであったから、先年、北朝鮮の女性が金総書記の写真が雨に濡れる! といって大騒ぎしている光景がTVニュースで報じられたときには、私は大日本帝国時代の我が国の御真影のことをチラッと思い出したものであった。(なお、奉安殿は敗戦直後の時期に撤去された)

  奉安庫 昔昔を 思い出し  徘(徊)人 okinatchi 
 
 新聞を広げたら新聞には今日が大東亜戦争が開始された日である、などという記載はどこにもみあたらなかった。 そのことをT子さんに話したら六十歳代以下の人は大東亜戦争に関連する記憶がないから新聞に書かなくなったのだろう、と言われてしまった。 このように六十年という年月の経過による世代の交代により昔の大事件も日本国人の脳裏から消し去られてしまっている。 歴史的な事実は正確に後世に伝えられなければならないのである。

 ところが、隣国の朝鮮半島の国々や中国大陸の国においては百年前のことも自国民に繰り返し繰り返し反日 抗日 の材料として教育し続けているが、教え込んでいる事項が正確な事実とは限らないことが問題である。 例えば、中国では昭和二十五年に始まった朝鮮動乱は韓国と米国とが北朝鮮に攻め込んだことで始まった、という嘘の事実を教えているのだそうである。

 近隣の国々で嘘のことを幼少のころから教え込まれた人達が何代も世代交代を続ければ嘘も本当になってしまうことは何と恐ろしいことではあるまいか。 そして外国で国民に教え込んでいる嘘話の中には日本の過去の行為についてのことも含まれているというから困ったことである。

12月8日

2013-12-08 12:35:18 | 日記
  12月8日(日)の3

 さらに、平成17年12月8日には  【 昨夜のNHKのTV番組で昭和十六年十二月八日の真珠湾攻撃と連合艦隊司令長官山本五十六に関する話が放映されていたのを視聴していて、昭和十六年春の日米開戦前夜の時期から日米開戦時のことを想い出すとともに、山本五十六が日米開戦に際して最後まで拘った米国への開戦の通告を真珠湾攻撃の開始時刻よりも前に実行して貰いたい、という要望が前夜に行われた大使館員の送別会への参加などのこともあって日本大使館の事務手続きが遅れたことによって達成されなかったことは痛恨の極みである、と思った。

   いそろくの 願い虚しく とき遅れ 痛恨の極み 胸に渦巻く 徘(徊)人 okinatchi 

 今日は大東亜戦争が始まった十二月八日であり、毎年、この日には昭和十六年の十二月八日の朝の情景を思い出すのである。A,B,C,D,E包囲陣の形成によりジワジワと追い詰められていた大日本帝国の状態を実感していた国民がハワイの真珠湾での大戦果をきいて胸のつかえがとれて欣喜雀躍していたのに、私の母が暗い顔をしてイギリスやアメリカには勝てない、と呟いたときに、私は母に そんなことを喋ると特高や憲兵に連れて行かれるからと、母を強く制したこと、今の日本国はダラ~ンとした締まりの無い顔つきの平和呆けした老若男女で溢れているが、あの当時の大日本帝国内は緊張感にキリッとした顔立ちの人々で溢れていたッけ、等々、過去の多くの記憶が蘇るのである。  
 
   開戦日 多くの記憶 蘇り  徘(徊)人 okinatchi 】 のように書いていた。

12月8日

2013-12-08 12:32:02 | 日記
12月8日(日)の4
   
 さらにまた、平成18年12月8日には 【 またしても十二月八日が巡ってきたが、新聞を開いても六十五年前の大東亜戦争開戦日のことの記事は無かった。 考えてみると無理も無い。 六十五年前の大東亜戦争開戦日頃の雰囲気を まざまざと記憶している人は既に喜寿を迎えている人で、かつ呆けていない人だけだろうからである。 】のように書いてあったが、その後の各年の12月8日でも大東亜戦争に関する記事は最早見当たらなくなってしまっている。

 さて、本日、平成25年の12月8日朝の時事放談は御厨貴氏の司会の下で与謝野氏と藤井氏とが、与党が数の力で強引に国会を通した特定秘密保護法案と関連する事柄について意見を述べたりしていたが、今日が12月8日であることについては何も触れていなかった。もっとも、今日の司会者や出演者達は大東亜戦争の開始前後の時期には子供であってその間の事情を知らなかったからかも知れないのだが。

 各党の人達が出演していた午前中のTVニュースショウ番組でも特定秘密保護法案の審理の仕方についての議論や、中国の防空識別圏設定に関連した諸問題、などについての議論が闘わされていた。また他のTV局の番組では みんなの党の分裂の問題、北朝鮮の張成沢氏失脚の問題などが報じられていた。、

 お昼近くに散歩に出かけた。外は薄日が差していたが薄ら寒かった。 

  年末の 薄日の下の 散歩道 襟そばだてて そぞろ歩んで  徘(徊)人 okinatchi