12月8日(日)の1
晴れ。 午前6時の外部気温は10℃であった。起床後、直ぐに住居前を40分間歩いた。今日は68年前に大東亜戦争が開始された12月8日である。私は これまで12月8日には大東亜戦争が開始された日の想い出話を綴ってきたことが多く、例えば、平成15年の12月8日には 【 今から62年前の昭和16年当時に私が暮らしていた東北地方の小都市の朝は積雪20cmの新雪に覆われていて白く輝いていた。 その日の朝に大日本帝国は後に大東亜戦争と命名された大戦争に突入したのであった。
小学校六年生だった私は雪の中を登校して1時間目の授業の始まるまでの間に同級生達が興奮して語るハワイの米太平洋艦隊全滅の話の輪の中にいた。 その日の朝の始業前に30cmの深さの新雪の校庭を大勢の同級生達と はだし で駆け回ったのも、日本が大戦争に突入したことに子供ながらに興奮したからであったろう。 昭和16年の4月頃からの日米交渉の状況を毎日の新聞報道で読んでいて、日米間が風雲急を告げていることを肌で感じていたし、どうにもならない逼塞感を覚えていたから、戦争突入と同時の大戦果の発表で雪の中を駆け巡るという行動をとったのだろう。
毎年の 師走八日は 懐古の日 徘(徊)人 okinatchi
今、考えてみると、米国と戦争をして敗戦し、米国軍の占領下におかれた、ということが、現在の自由な日本をもたらしたと考えられるのであり、仮に、日本が米国によって無一物の国になるまでにコテンパンに やっつけられていない状態で旧軍部が残されていたとしたならば、その後の日本がどのようになっていたのであろう、と思うと、ゾ~ッとするのであり、この半世紀間の日本はツイテいたのだ、と思わざるを得ないのである。
新聞には 「 エッ!日本とアメリカとが戦争したことが あったの? 」と、聞く子がいる、との話を驚き調で書いてあったが、私が子供のころに、その頃から僅30年前に行われたロシア帝国との戦争を、遠い神代の話のように感じていたことから類推しても、今の子が60年前の大東亜戦争のことを知らなくても何ら不思議でもないと思う。
前大戦 遥か遠くに なりにけり 徘(徊)人 okinatchi
ところで、大東亜戦争後に日本の戦争犯罪を裁くために行われた東京裁判が、勝てば官軍の理屈の罷り通った裁判であって、大日本帝国がロシアの南下政策やアジアに進出した西欧列強の脅威から 列強に伍して自国をまもるため に戦争を行わなければならなかった、という日本の主張は東京裁判で抹殺されてしまったこと、戦争を起こさせた原因を作った国の戦争責任には言及もされなかったなどのことは、裁判が行われていた当時の毎日の新聞に載っていた裁判の内容を読んでいた70歳代以上の人達にはよく判っているところだが、今の日本国民の大部分の人達は東京裁判が行われた頃に毎日の東京裁判の新聞記事を読む年齢には達してはおらず、その人達は東京裁判の結果に基づいて記述された歴史書などを読んで育っている人であろうから、その人達と私達との間には大東亜戦争についての考え方について断層があるのかも知れないな、などと感じたが、事実は後世史家が明かにしてくれるだろう。
歴史書は 勝った当事者 記述して 徘(徊)人 okinatchi 】 のように書いていた。
晴れ。 午前6時の外部気温は10℃であった。起床後、直ぐに住居前を40分間歩いた。今日は68年前に大東亜戦争が開始された12月8日である。私は これまで12月8日には大東亜戦争が開始された日の想い出話を綴ってきたことが多く、例えば、平成15年の12月8日には 【 今から62年前の昭和16年当時に私が暮らしていた東北地方の小都市の朝は積雪20cmの新雪に覆われていて白く輝いていた。 その日の朝に大日本帝国は後に大東亜戦争と命名された大戦争に突入したのであった。
小学校六年生だった私は雪の中を登校して1時間目の授業の始まるまでの間に同級生達が興奮して語るハワイの米太平洋艦隊全滅の話の輪の中にいた。 その日の朝の始業前に30cmの深さの新雪の校庭を大勢の同級生達と はだし で駆け回ったのも、日本が大戦争に突入したことに子供ながらに興奮したからであったろう。 昭和16年の4月頃からの日米交渉の状況を毎日の新聞報道で読んでいて、日米間が風雲急を告げていることを肌で感じていたし、どうにもならない逼塞感を覚えていたから、戦争突入と同時の大戦果の発表で雪の中を駆け巡るという行動をとったのだろう。
毎年の 師走八日は 懐古の日 徘(徊)人 okinatchi
今、考えてみると、米国と戦争をして敗戦し、米国軍の占領下におかれた、ということが、現在の自由な日本をもたらしたと考えられるのであり、仮に、日本が米国によって無一物の国になるまでにコテンパンに やっつけられていない状態で旧軍部が残されていたとしたならば、その後の日本がどのようになっていたのであろう、と思うと、ゾ~ッとするのであり、この半世紀間の日本はツイテいたのだ、と思わざるを得ないのである。
新聞には 「 エッ!日本とアメリカとが戦争したことが あったの? 」と、聞く子がいる、との話を驚き調で書いてあったが、私が子供のころに、その頃から僅30年前に行われたロシア帝国との戦争を、遠い神代の話のように感じていたことから類推しても、今の子が60年前の大東亜戦争のことを知らなくても何ら不思議でもないと思う。
前大戦 遥か遠くに なりにけり 徘(徊)人 okinatchi
ところで、大東亜戦争後に日本の戦争犯罪を裁くために行われた東京裁判が、勝てば官軍の理屈の罷り通った裁判であって、大日本帝国がロシアの南下政策やアジアに進出した西欧列強の脅威から 列強に伍して自国をまもるため に戦争を行わなければならなかった、という日本の主張は東京裁判で抹殺されてしまったこと、戦争を起こさせた原因を作った国の戦争責任には言及もされなかったなどのことは、裁判が行われていた当時の毎日の新聞に載っていた裁判の内容を読んでいた70歳代以上の人達にはよく判っているところだが、今の日本国民の大部分の人達は東京裁判が行われた頃に毎日の東京裁判の新聞記事を読む年齢には達してはおらず、その人達は東京裁判の結果に基づいて記述された歴史書などを読んで育っている人であろうから、その人達と私達との間には大東亜戦争についての考え方について断層があるのかも知れないな、などと感じたが、事実は後世史家が明かにしてくれるだろう。
歴史書は 勝った当事者 記述して 徘(徊)人 okinatchi 】 のように書いていた。