okinatchiの四次元徘徊記

 毎日の出来事を書き綴ります。

6月23日

2014-06-23 23:28:34 | 日記
  6月23日(月)
 曇り、雨、曇り。 朝6時の屋外の気温は24℃であった。バスの乗り継ぎの停留所でバスを待っているときに、携帯ラジオのイアホンから聞こえてくるラジオ体操の音に合わせてラジオ体操をしたが、それを遠くから見ていた人は、変な爺さんがバス停で踊っているとでも思ったかも知れないな、と苦笑した。

 午前8時前に友人宅につく。午前9時半ころにマッサージ師のOさんが訪ねてきた。私は近所のMo医院に友人が服用している医薬品の処方箋を貰いに行く。Mo医院からの帰りに調剤薬局に立ち寄り医薬品を受け取って友人宅に戻る。暫くして訪問看護師のOさんが訪ねてきた。

 午前10時過ぎに車椅子に乗った友人を連れてOさんも一緒に外に出て友人の歩行練習をした。Oさんと別れてから車椅子に乗った友人とTo駅近くのスーパーに買い物に行く。買い物を終えて帰るころに空模様が怪しくなっていたので大急ぎで友人宅に戻った。急いで昼食の準備をして昼食を摂る。屋根から雨が降ってきたような音がしたので外を見たら強い雨が降っていたので吃驚した。

 午後2時ころに友人に頼まれてTo駅近くまで買い物に出かけたが、さっきの雨が嘘のように晴れ上がっていた。買い物から戻って雑用をこなしてから帰途につく。バスを乗り継いで団地に戻って歩いていたら自転車に乗っていたTuさんから声を掛けられた。昨日、団地の地下の部屋に行ったが誰もいなかったと言われたので、午後2時に家にお客がきたので家に帰ったということをTuさんに話した。

 今日は大東亜戦争の沖縄戦で組織的な抗戦が停止したとされる6月23日であり、TVニュースで安倍首相も沖縄で行なわれた記念行事に参加したことが報じられていたのを聞いて、昭和19年6月23日の頃を思い出した。その頃、旧制中学校の4年生だった私は同級生達と共に学徒動員で親許を離れ、現在、山形空港として使用されている地域に建設中の海軍航空基地の建設用土木作業員として一日の休みもなくシャベル、つるはし、もっこ、を使っての土木作業に従事していた。

 カンカン照りの太陽の下で噴出した汗が皮膚上に白い皮膜を作るような状態での連日の土木作業は15歳の身にとっては とてもきついものだったが、当時は御国のために、という一念で毎日を過ごしていたのだった。今、84歳の爺さんとなって、あの当時のことを考えると妙に懐かしい思いがしてならない。 

  遠い日の 戦時を想う 沖縄の日  徘(徊)人 okinatchi