[クルーズ船ル・ボレアル号]
[シップ・データ]
船 名 :ル・ボレアル
クラス :ラグジュアリー
船会社 :ポナン
船 籍 :フランス
キャビン数 :132室(全室海側、内125海側ベランダ付
乗客定員 :264名
乗務員数 :140名
就 航 :2010年
総トン数 :10,994トン
巡行速度 :16ノット
全長 /幅 /高さ:142m /18m /--
デッキ数 :18階(お客様デッキ数 :14デッキ)
キャビン数 :132室 (全室海側、内125が海側ベランダ付)
乗客 / 定員 :190名 / 264名
乗務員数 :140名
[南極紀行行程図]
https://www.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6
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☆南極紀行初日 (2018年2月3日 土)
[今日の予定と行動]:
自宅(小牧)→成田→米国ダラス→アルゼンティン へ移動
*自宅と空港間の往復宅配サービス (KTC QLライナー:0120-133-771)
09:15:自宅出発 名鉄特急バスで名駅へ
名駅でA氏と合流
*新幹線(のぞみ)で品川駅へ
*品川から[成田エクスプレス(\1,490)]で成田空港へ
→ *復路はバスを利用 (\1,000
*空港で添乗員(西村見介氏)と初面会
*参加者総数:165名 (4班に別れブエノスアイレスへ移動)
・AA航空0060便:成田発(18:25)~ダラス着(15:15)
・米ダラス空港で機体を乗り換え
~ブエノスアイレスへ移動(時差:マイナス12時間)
☆ 南極紀行で使用される特殊用語を纏めてみました
[ IAATO] : (南極条約)
[ ウシュアイア ] : (南米南端の南極窓口の港街)
[ ドレーク海峡 ] : (南米と南極を挟む海峡)
[ パルカ ] : (赤色の南極着用の防寒ジャンパー 5万円?)
[ ソディアック ] : (ゴムボート)]
[ ボートドリル ] : (船上避難訓練)
[ オラー ] : 挨拶 (コンニチハ、オハヨウ)
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☆南極紀行2日目 (2月4日 日)
[今日の予定と行動]:
ブエノスアイレス着:(08:42)
ブエノスアイレス市内を観光 ( 大統領府、国立美術館 )
昼食
ホテル ( メリナ・ブエノスアイレス )へ移動(14:00) →宿泊
( 入り口に色鮮やかな馬が展示 )
夕食:ホテルのビュッフェで
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☆南極紀行3日目 (2月5日 月)
[今日の予定と行動]:
早朝(05:45)にホテルで弁当を受領して、[ ブエノスアイレス ]の地方空港へ移動
[ ブエノスアイレス ] (晴れ 30℃) (08:45発)
ローカル便のラタム航空LA-7964 で[ウシュアイア]へ移動
[ ウシュアイア ] (晴れ 10℃) (12:30着)
▲ウシュアイアの標点は 西経68.2度/南緯54.8度 で
南十字座(星)は仰角約 84度前後 に見られる筈ですが今回の旅の
ウシュアイアでは [南十字座] を視認する機会はありませんでしたが、
今年の7月での南アフリカ旅行時に夕食からホテルへの帰路に
快晴の夜空に初めて見る事ができました
ウシュアイア市内で昼食後 市内見学して[ ウシュアイア港 ]へバスで移動
港に停泊する [ ル・ボレア号 ] に乗船
各人は早速 [ クルージングカード ] を貰います
(このカードは最後の離船までの身分証明書です)
◎ [ ウシュアイア ] は[ ブエノスアイレス ] から 3,250km、
南極からは僅かに1,000㎞足らずに位置し、南極から最も近い"世界最南端の都市"です
1520年、大西洋側を南下していたマゼランは、断崖の上に幾つもの火を見つけ、
その火は先住民の松明だったのですが風の強い不毛の大地に燃える火を不思議に思ったマゼランは
ここを「デイエラ・デル・フェゴ = 火の大地」と名付けました
19世紀前半宣教師たちがここを訪れ、19世紀後半にはゴールドラッシュが起った処です
[ ウシュワイア ] はフェゴ島、マゼラン海峡、ビイグル水道と大西洋に囲まれた島で
九州を一回り大きくしたサイズです
船長(シルバースさん)と144名の乗組員、そして
11名の [ エクスペディションチーム ] の皆さんの歓迎を受けて
ウエルカムドリンク(シャンパン)をグラスで貰って順次乗船 その後
各人は自室 (私は#312号室) に
全員(165名)が[避難訓練 ( ボートドリル )] に参加
クルーズ恒例の [ ボートドリル ] (避難訓練) が乗船して最初に行われ、
各部屋に準備されていた[救命着の着用・運用手順]などを勉強します
この訓練が終わるとクルーズ船は南極半島を目指して一路、
南方へ向かって [ ウシュワイア港 ] を出航します(18:00)、
訓練が終わると 「ル・ボレアル号」 はドラの音を高らかに響かせて
[ウシュアイア港]を出航
一路、南極大陸(半島)に向けての航海が始まります (18:00)
船の進む前途には最高に荒れ狂う [ドレーク海峡] が待ち受けています
◎ 「ポナンクルーズ」 はエコツーリズムを実施するクリーン船と呼ばれる
新造船で本船 "ル・ボレアル" を2010年より導入しています
そして [IAATD] の会員として南極の環境保護に努めております
船内では常時 [クルーズカード] を携行し、身分証明、所在証明、そして
全ての買い物、飲食(ワイン、ビールなど)に使用されます
[HANKYU TRAVEL 2018 ANTARTICA]
◎南極で使用する赤い防寒着 [パルカ] が各自に支給され(有償購入約5万円)、
ゴム長靴は各自に貸与され、離船まで個人専用で使用します
これから2晩、[ドレーク海峡横断](約650km) の航海が続き、
一路南極半島を目指します
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☆南極紀行4日目 (2月6日 火)
[今日の予定と行動]: (日出 05:43 日没 21:45) 曇り
・終日ドレーク海峡横断クルージングの初日
◎ 「ドレーク海峡」:南アメリカ南端のホーン岬と南極大陸(半島)との間の海峡で、
南極海の一部であり、世界で最も荒れる海峡の一つです。
また、ギネスブックで世界一幅の広い海峡として認定されており、
最狭部でも650kmあります
この名前の由来はイギリス人の捕鯨船船長で探検家のフランシス・ドレークに因んで付けられました
1578年、ドレーク船長が南太平洋で防風雨に遭い、ホーン岬付近に漂着した後、
大西洋へ出た事から、この海峡の存在が初めて知られたのです
それまでは[マゼラン海峡]が大西洋と太平洋を結ぶ唯一の海峡と考えられていたのです。
[ドレーク海峡]を最初に航海した公的な記録はオランダ人の
ウイリアム・スポーランが船長を務めた1616年の航海とされています
午前:ブーツの試着と借用 →南極上陸時に必須のブーツを試着し、乗船中の借用
午後:南極上陸時に一番外側に着用す新品以外の私物衣類(ズボン、シャツ、帽子など)
を電気掃除機で外面に付着している微塵を吸引し、除去します。
南極大陸を汚染する物質の搬入を予防します (南極条約IAATOに基づいて実施)
「南極について」の勉強会 伊地知亮氏(通訳) (17:00~)
次第に船の揺れが激しくなり、机上のドリンク類や皿が滑って飛ばされる状態になり
歩行や食器の運搬が不自由になり、スープなどはテーブルへ持ち運びができず慣れた
ボーイさんが手伝ってくれ助かりました
食事を終えて部屋に帰り、デッキに出て見上げる澄み切った夜空は最高にきれいでした
外気温はプラス5度で南極の夏でそれほど寒くないのです
早めに床に入って就寝です(22:00)
幸い、私は今航海中一度の船酔いを経験せず、元気に過ごせました
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☆南極紀行5日目 (2月7日 水)
[今日の予定と行動]:
・終日ドレーク海峡横断クルージング2日目 (日出 07:14 日没 1:36) 曇り 2℃
船は今日もドレーク海峡を一路南極半島を目指して進んでいます
今日の勉強会:(09:15 ~)
* 南極条約(IAATO)について
* ゾディアック(ゴムボート)への乗下船の仕方について
* 南極での写真撮影の要点:カメラマンの石川氏
* 南極海の海鳥について
今日の午後 15:30 頃、初めて氷山が見えました
◎ [南極大陸について]
面積は約1,387万500平方キロで、日本の約37倍です。
そして地表面の97%以上が氷と雪に覆われた極寒の世界です。
地球上の淡水の約90%が南極にあります。
太古の昔、[南極] は赤道直下にあった [超大陸ゴンドワナ] の一部で
3億6千万年前、赤道直下にあった南極はおよそ1億年かけて少しづつ南下し、
その後6,600万年前に南極は現在の位置に独立した大陸になりました
そして今、航行しているドレーク海峡は
"ほえる! 狂う! 絶叫する!"
更に南緯約55度の南極最南端を過ぎると
南極までの間に大きな陸地は全くなく、荒れた日には風速が毎秒40メートルを超え、
波の高さはビルの5階くらいの高さの約15mにもなります
これが 「絶叫する60度!!」 です
荒れる南極航海で、着用する服や手袋、マフラー、帽子など衣類を
掃除機で吸引して[除塵] して臨んだのも貴重な思い出の一つです
◎ 南極は世界で唯一国境のない大陸です
20世紀半ばに南極に進出してきた国の数が増え、
この領土拡大競争に反対する国々が主体となって
1958年に南極条約 (IAATO) が締結されました
おかげで南極は各国が協力して科学的調査が行える
唯一の [国境のない大陸] になったのです
[International Association of Antarctica Tour Operators]
今夜は夕食の前に、船長主催の 「ウエルカムパーティ」が開かれ、
高級シャンパン 「ブーブリコ」 が会場入口で一人一人に手渡されての歓迎会でした
全員、フランス料理のコース(フォアグラ、仔牛肉など)の美味しさに舌鼓です
この頃にはすっかり波も穏やかになり食後は船上で [ピアノコンサート] も開かれました
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☆南極紀行6日目 (2月8日 木)
・午前は氷山が美しい [ネコハーバー] の見学です
ドレーク海峡を通過して [ネコハーバー] 入ります
美しい氷山が織りなす[ネコハーバー] は南極随一の絶景地です
◎ [ネコハーバー] は南極のエレラ海峡を約11km 南方に下がった
[アンドブオーン湾] の東端にあり、1897年 ベルギー南極探検隊の
ジェルラシ によって発見され、この湾で操業していた捕鯨母船の
「ネコ号」 に因んで [ネコハーバー] と名付けられました
[ルボレア号] は [ネコハーバー] の沖合に投錨して停泊します
みんなは順次 [ソディアック] に分乗して湾内の観光に出発します
ここは [ジェンツーペンギン] の営巣地で、見所です
・午後も快晴のもと、ソディアックに分乗して [パラダイス湾] の観光クルーズです
ペンギンやオットセイ、そして突然海面に潮吹きの背中を見せるザトウ鯨の親子が
間近で見ることがでました でも
突然の目前出現ですのでカメラをかまえる暇がなくいつも失敗の連続でした
沢山のジェーンツーペンギンを身近に見学できました
[パルカで防寒 南極半島に立つ82歳]
・登って行った小高い丘の上からの「アンドボウ湾」の眺めは南極らしい素晴らしい景色でした
・午後は天国のように美しいと云われる [パラダイス湾] の絶景を見学しました
◎ [パラダイス湾] (南緯64度49分、西経62度52分) は地球上で最も美しい湾と
云われ、その昔、捕鯨船の船員がこの湾を見て[ここは天国だ]と
叫んだことからこの名前がつけられたと云われています
ここは島ではなく南極半島の一部で、パラダイス湾の周りには高い山がそびえ立ち
あちこちに海へ流れ込む氷河があります また、
ここにはかって
・アルゼンチンの [アルミランテ・ブラウン夏基地] と
・チリ空軍の [ビデラ夏基地]
があったそうです
・見学を終わって、船に戻ると、
フランスの老舗店 「ラ・デュレ」 の銘菓 [マカロン] で舌鼓でした
私には初めての味わいのご馳走でした
初めての南極上陸の見学を終わると
11:30 から Mr.バレンテインさん と Mr.アレックスさん を講師に
「世界のペンギュイン」
をテーマに勉強会がありました
=[南極紀行前期の旅(2/03~2/8)] のスライドを観てください
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☆南極紀行7日目 (2月9日 金)
[今日の予定と行動]:南極半島2日目
今日の見学場所は
* 南極屈指の人気観光場所の[ブレノー島]
* ブース島の北海岸、[ポートシャルゴー]
ルメール海峡 ブース島 ピーターマン島 (日の出:05:03 日没:23:00)
早朝(06:30頃)、船内放送で
「これからルメール海峡に入ります
風光明媚な景色をご覧いただけますよー」
入り口には岩の山 "ブレノー山" が聳え立っていました
[ まさに最高の芸術作品です ]
◎ [ルメール海峡] は南極半島の [グレアム海岸北端] と [ブース島] の間に
位置し、長さが 11,2km、幅が最低でも 450m 平均水深 400m で
南極半島西岸で最も風光明媚な海峡です
[ ソディアックで南極の海を探検 ]
波も穏やかで素晴しい天気に恵まれ [ボレアル号] はこの海峡を進んでいきました
08;30~から [ソデアック] に分乗しての海峡の観光クルージングです
[ポートシャルコー](ブース島の北岸)をクルージングします
青空と氷山のコントラスト なんとも言えない景観でした
[ポートシャルコー] の連なる氷山は全く見飽きない銀世界です
[ 澄み切った南極の海を遊泳する鯨の親子 ]
◎ [ポートシャルコー] は氷山のミュージアムです
沢山の氷山が様々な形で プーカ プーカ と浮かんでいます
近くの氷塊の上には [カニクイアザラシ] がのんびりと眠っていました
珍しい [ヒョウアザラシ] も観られました
午後は[ピーターマン島]に上陸して見学です
◎「ピーターマン島」 は海抜200mの円蓋地形の島で、[ルメール海峡] の直下にあり、
ウイルヘルム群島のボブガード島の南西に位置しています
この島は1873年~74年のダルマン南極探検隊によって発見され、
ドイツの地理学者で探検を援助したアウグスト・ピーターマンに因んで名づけられました
入江のビーチには1955年に建てられたアルゼンチンの避難小屋があり、
その近くには1982年8月にここで命を落とした3人の英国科学者の
記念碑(十字架)が見えました
[ピーターマン島]への上陸はゴツゴツした岩山を海岸沿いに歩いて・・・
右に行くとペングインの営巣地。 左に行くと展望台・・・がありました
ここには [ジェンツーペングイン] と [アデリーペングイン] がいました
ペングインちゃんの落とし物のいやな匂いにも今では少し慣れてきました
18:30~ いつものように [リキャップ] と [明日の予習会] がありました
夕食後は ”バラエティショウ”(ダンスにトーク)も開催されました
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☆南極紀行8日目 (2月10日 土)
[今日の予定と行動]: 晴れ (日出 05:05 日没 22:40)
・南極半島3日目
今日の見所は英国が開いている [土産物屋] と [郵便局] がある
[ポートロックロイ] へ上陸して買い物や日本向け絵葉書を投函する予定でしたが、
現地の天気が悪く上陸できないため予定は変更され計画は中止になりました
阪急社に委託した日本向けの絵葉書は次回のクルーズで上陸する時に委ねる
ことになりました
当日予定の [ポストへの投函]、[日本での配達] は不可能になり、
阪急社に2通を委託して日本へ帰ってきました
委託した2通のハガキは1ケ月後に自宅に配達されてきました
[南極で投函のハガキ-1]
[南極で投函のハガキ-2]
・9時から伊地知さんの
「極地の氷について」
の勉強会が4階の劇場で実施されました
[近づいてくる巨大な棚氷]
勉強会の途中、投錨可能な場所があるとの情報が入り勉強会は中止になり、
予定していたコースを変更して [クーパービル] に上陸することになりました
◎ [クーパービル島] は風が強くて水しぶきのかかる可能性が大きい島です
この島は南極半島とロンゲ島の間の [エレラ海峡] に浮かぶ小さな岩の島で
標高250mのドーム型の山が特徴です
ゾデアックで近づいていくと途中から ペングインの赤い糞 の強い匂いがしました
ここには沢山の [ジェーンツウペングイン] がいました
そして今まで観ていない [ウエッデルアザラシ] が1頭が気持ちよさそうに寝ていました
[海岸には大きなクジラの残骸の骨]
が2個転がっておりその傍から小さなペングインが2頭ひょっこり顔を出してくれ
楽しい散歩でした
山に登っていくと岩場には南極には珍しい緑色の苔が生えていました
南極の氷には 氷床、棚氷、氷山、海氷、そして 氷問 などいろいろあると云います
17時からロドリゲス先生の
「アザラシについて」
の講義が4階++劇場で実施されました 多くの聴講生(参加者) は
講義が始まると間もなく心地よさそうに居眠りを始めていました
18時半からは今日の [リキャップ] と [明日の予定] についての講義がありました
この頃から [船の横揺れ] が極度にひどくなりました
その理由は海中の氷塊が多くなり、"横揺れ防止のスタビライザー”を
作動させると危険なので作動できないためだったそうです
棚の物が落ちてくるような強い横揺れが続きました
氷山が織りなす南極随一の絶景 [ネコハーバー] と
天国のように美しい [パラダイス湾] の見学へ向かいました
◎ [ネコハーバー] は南極のエレラ海峡を約11km南に下がった
[アンドブオーン湾] の東端にあり、1897年ベルギーの
南極探検隊のジェルラシによって発見されたのです
・見学を終わって母船に戻ると、フランスから運ばれてきた
『マカロン』(フランスお菓子の老舗 「ラ・デュレ」 の銘菓)
を1人2個づつご馳走になり、私には初めて味わう美味なお菓子でした
今日からいよいよ [南極に上陸しての見学] が始まります
まず、午前は氷山が美しい [ネコハーバー] を見学します
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☆南極紀行9日目 (2月11日 日)
[今日の予定と行動]: 晴れ (日出 05:05 日没 22:40)
・南極半島4日目の見所:
07時に操舵室から、、
「アンタークテイック・サンド] には氷が多く
[ボレアル号] は更に奥へと行くことができません。
Uターンして [ジョインビル島・ケネスコープ] へ向かいます」
との放送がありました
外は氷がプカプカと浮いており、空は快晴の青空です
氷が太陽に反射してピカピカと光って輝き、なんとも言えない景観でした
◎ [ジョインビル島] はジョインビル諸島の中でも最も大きな島で、
南極半島の北端から南極海峡を隔てた場所にあります
ここを [アルゼンティン] と [イギリス] と [チリ] が領有権を
過去に主張していたのです
09時から順次、下船を開始して [ジョインビル島] 付近をゾデアックで
クルーズし、[ゲネスコープ] に上陸しました
氷床がずーっと広がり、遠くには卓上氷河が見えました
今までとはまた違う景色ですね
上陸するとまたまた可愛いペングインがおり、ここには
[アデリーペングイン] と [ジェンツーペングイン] がいっぱいおり、
子供のペングインたちが海に飛び込もうかどうしようかと
考えこんでいる様子でした
お昼のご飯中になんと船長さんは再び [アトランテイックサンド] に
チャレンジして、氷塊の間をうまく通り抜け、予定していた
[ブラウン・ブラフ] に投錨できました
[ボレアル号] の周りにはペングインが団体になってピョンピョン泳いでいきます
◎ [ブラウン・ブラフ] は聳え立つ 745m のさび茶色の崖と氷の帽子が特徴の山で
タバリン半島の東側にある [ジョナセン島] の西にあります
ここは氷河・火山の断片が顔を覗かせている場所で、擬灰岩の崖には
多くの溶岩石が埋め込まれています
[アデリーペングイン] と [ジェンツーペングイン]、、[ミナミオオセグロカモメ]、
[マダラフルマカモメ] たちが営巣していました
そこは、まるで西部劇に出てくるような岩山に見え、
[南極のグランドキャニオン] でした
ここ、[南極のグランドキャニオン] がある島 [ブラウンブラフ] に上陸して、
沢山の [アデリーペングイン] に出逢い、ここから南極の氷河の上を歩いて行きました
素晴らしい景色でした
☆ここ [ブラウンブラフ] への上陸、登山ウオーキング は
南極大陸最後の上陸作戦になりました 最高の思い出です
[南極にグランドキャニオンが]
・夕食後の "ショウタイム" に 「コンチネント(大陸)」 がありました
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☆南極紀行10日目 (2月12日 月)
[今日の予定と行動]: 曇天 (日出 05:12 日没 21:10)
・南極半島10日目の見所
ゾウアザラシ などが生息する [ウエッデル湾] を見学します
グリニッジ島・フォースポイン/デセプション島・デレフォンバイ
06:45 操舵室から 次の放送があり
「グリニッジ島近くに錨を下ろすことができました
今日は南極半島への最後の上陸日です。」
07:45 最初のグループからソデアックに乗ってグリニッジ島に向かい
グリニッジ島のフォースポイントに上陸しての登山と行軍です
島に上陸して、火口などの見学に登って行きます
この火山の島では一番高い処まで登り、火山灰の山道を長い距離歩きました
◎「グリニッジ島のフォースポイント」 は南極半島の北方、
サウスジェトランド諸島の島です
長さ20km、最狭部で 8㎞ の瓢箪型の島です
1820年の捕鯨時代には 18か国 がここに基地を置いていました
この島には
[ヒゲペングイン] 、
[ミナミゾウアザラシ] 、
[ナンキョクオットセイ] 、
が営巣しており、初めて見るものばかりでした
ゾウアザラシは10歳で体重は1トンにもなるそうです
今日は [全員の集合の記念写真] がデッキ6階後方の
[プールサイド]
で実施されました
13:45頃 デセプション島の [ネプチューンベロー] に入りました
◎ [デセプション島のテレホーンベイ] は1909年に修理のため停泊していた
救難船 「テレフォーン号」 にちなんでつけられました
島の内側は天然の良港で湾の入り口はとても狭く、
又、火山の影響で地熱が高く、温泉が湧き出ております
活火山があり、1970年に噴火して観測基地が被害を受けたようです
島はほぼ円形で、南極付近では珍しく地表がむき出していました
19世紀初頭以来、デセプション島は南極の嵐や氷山からの避難所となっていました
最初はアザラシ狩猟者、1906年にはノルウエーとチリの捕鯨会社が基地として使用
今でもその面影が見られます
15時頃から [デセプション島] に上陸です
いつものようにソディアックに分乗して島に上陸します
黒々とした島の表面は黒い火山灰で覆われており、
その上を火口の真上まで歩いていき、覗き込んで見学し、
更にもっと上方まで登り、そして下りてきました
最後の海岸に向かっての左急斜面を滑り落ちないように下る時には
一時霧が深くなり、沖の海岸沿い停泊する [ボラアル号] も
一時見えなくなったりするような少し危険を感じる状況でした
全員誰も怪我をすることなく無事に下りて来られました
帰船のための [ソデアック乗船場] へ向かう途中、
大きな白い [ウエッデルアザラシ] が1頭横たわっていました
突然変異で生れたのか珍しいアザラシだそうです
静かに居眠りをして我々を見過ごしやり過ごしていました
[下山途中で出会った白いアザラシ]
今日の[南極上陸体験]で全てが計画通りに終わりました
私は全ての行事に参加し、全ての体験がが貴重な内容でした
全てを無事に終了できたことは嬉しいことですが、
終わってしまうとちょっと寂しい気持ちです
18:45 から4階劇場でいつものように [リキャップ] と [反省会] が行われました
明日の今頃は [ドレーク海峡] の荒波を乗り越えながら帰国の途上にあります
・時差修正プラス12時間
=[南極紀行中期(2/9~2/13)の旅のスライドを観てください
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☆南極紀行11日目 (2月13日 火)
[今日の予定と行動]:ドレーク海峡を終日クルージング初日
ドレーク海峡は大揺れでした
日の出 05:44 日没 21:11 3.5ド~5℃
昨夜から船はかなり揺れ始めました
この 魔の [ドレーク海峡] を乗り越えなければて [ウシュアイア]へ着けないのです
今日も明日も終日の荒れ狂うドレーク海峡の航海が続きます
船内ではイベントがありました でもこの強い揺れはつらいです
◎ 「ドレーク海峡」 は南アメリカ南端のホーン岬と南極大陸(半島)との間の海峡で、
南極海の一部であり、世界で最も荒れる海峡の一つです
また、ギネスブックで世界一幅の広い海峡として認定されており、
最狭部でも650kmあります
この名前の由来はイギリス人の捕鯨船船長で探検家のフランシス・ドレークに因んで付けられました
1578年、ドレーク船長が南太平洋で防風雨に遭い、ホーン岬付近に漂着した後、
大西洋へ出た事から、この海峡の存在が初めて知られたのです
それまでは[マゼラン海峡]が大西洋と太平洋を結ぶ唯一の海峡と考えられていたのです
[ドレーク海峡]を最初に航海した公的な記録はオランダ人の
ウイリアム・スポーランが船長を務めた1616年の航海とされています
[アホウドリについて] のレクチュアーや映画 「不都合な真実」 の上映がありました
[荒れるドレーク海峡]
そして夜は [キャプティンのさよならパーティ!!]。
この船で働いている [スタッフのみなさん] が舞台の上に登場
『 みなさん本当にありがとうございました 』
今夜の夕食はデッキ2のレストランに全員が集合して頂きました
夕食は特別メニューで [バレンタイン] と [サヨナラパーティ] を記念しての夕食でした
途中、クラシック音楽演奏 や コンサート もありました
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☆南極紀行12日目 (2月14日 水)
[今日の予定と行動]:
[ドレーク海峡] の横断航海を終わってやっと「ウシュアイア」に到着です
ウシュアイアの天気は 曇天から晴天へ 6.0℃~11.0℃
今朝まで [ドレーク海峡での揺れの洗礼] は続きました
そして、今日はやっと下船する時です 少し寂しい終末です
この頃になると波は少しづつ穏やかになり、
昼過ぎにはすっかり快適なクルーズに戻ってきました
14時から最後の [リキャップ] と [反省会] がありました
エクスペディションチームの皆さんの楽しい話で
この2週間のクルーズをまとめ締めくくりをしてくれました
「本当に有難うございました。」
その後、阪急スタッフと伊地知さんの3人が [トークショウ] を、
そして [ビンゴ大会] が催され、そして [アフタヌーン・ティ] が開かれ
18:30頃、やっと2週間ぶりに [ウシュアイア] 戻ってまし
『 ただいま。』
[ル・ボレアル号] での今夜の最後の夕食は
[バレンタイン記念のメニュー]
でした レストランでは サプライズ が沢山ありました
『 ウエーターさん、ボーイさん、シェフさんの皆さん ありがとう 』
その後は [バレンタインダンスパーティ] もありました
エクスペデションチームの皆さん お世話になりました。
そして、有難うございました
素晴らしい経験ができました
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☆南極紀行13日目 (2月15日 木)
[今日の予定と行動]:
07時に [ル・ボレアル号] が [ウシュアイア] へ入港
そして、船で最後の朝食を食べて 下船です (08:00)
[ティエラ・デル・フェゴ 国立公園] の観光を済ませてから (約2時間)
ウシュアイアの [ローカル空港] へ バスで移動
ローカル空港から [LA-7967便] で
[ブエノスアイレス国際空港] へ移動 (13:50~17:20)
ブエノスアイレス市内では、往路と同じホテル
[メリアブエノスアイレスホテル]
へ移動して宿泊 (19:00)
一部の人は [アルゼンティンタンゴのショウ](オプション) の見学へ出かけました
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☆南極紀行14日目 (2月16日 金)
[今日の予定と行動]:
・今日は日本へ帰国する日です
・朝食後ホテルを出発 市内で昼食後
・市内の観光:
5月広場、メトロポリタン大聖堂、コロン劇場、
レコレーター墓地、ポカ地区など
・市内観光後 ブエノスアイレス国際空港 へバスで移動
4班に分かれて空港へ移動し帰国の途へ
4つの航空便(アメリカン、エアーカナダ、全日空、カタール)で帰国
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☆南極紀行15日目 (2月17日 土)
[今日の予定と行動]:
・ダラス着
・乗り継ぎで空路成田へ (10,334KM)
B777-200
・時差修正プラス12時間
=[南極紀行後期(2/14~2/18)の旅のスライドを観てください
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☆南極紀行最終日 (2月18日 日)
[今日の予定と行動]:
・4班に別れて成田、羽田に向けて帰国
成田着(15:25)
・通関後解散
・[スーツケース]を受け取り、
佐川急便で自宅へ発送
・バス(\1,000)で東京駅に(16:40→17:40)
・[新幹線のぞみ]で名古屋へ(18:23→20:04)
・トイレ
・名鉄特急バスで小牧桃花台センターへ(19:20→2-:25)
・自宅帰着
=[南極紀行全期(2/3~2/18)] の旅のスライドを観てください
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[南極紀行の記録DVD]
紀行全日程が終わり、帰路の船上で全行程を記録したDVDが希望者に配布されました(高価有料)
[南極紀行DVD のケース]
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[参考動画]:
「ルボレアルの南極クルーズ」
[http://www.mercury-travel.com/kojin/report/2017223leboreal/]
「スモールシップは南極を変えた」
[https://www.youtube.com/watch?v=6nZ8Eqr98Ws&feature=youtu.be]
「南極点への旅」
[https://www.youtube.com/watch?v=MT7E_Tfix2U]
「南極昭和基地」
[https://www.youtube.com/watch?v=6WHVFXLdVGQ]
「南極大陸だ」
[https://www.youtube.com/watch?v=NfL1Ym-jAQI]
「南極」
[https://www.youtube.com/watch?v=OMg7sJ4kGSs]
「南極探検の旅-2」
[https://www.youtube.com/watch?v=OMg7sJ4kGSs]
「アルゼンチン絶景の旅 (ウシュアイア編)」
[https://www.youtube.com/watch?v=bqM79kBVpVQ]
「北極点への旅」
[https://www.youtube.com/watch?v=lSIFtforNk8&t=6s]
「南極半島遊覧」*(台湾語)
[https://www.youtube.com/watch?v=REbzg_k1fP0]
「南極半島遊覧」*(台湾語)
[https://www.youtube.com/watch?v=REbzg_k1fP0]
「南極大旅行」*(台湾語)
[https://www.youtube.com/watch?v=_GAQGouwZmc]
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[旅の所見]:
* 南極半島の自然について
・連日好天に恵まれソディアックでの海上見学も一切の障害なく実施された
・空も海水も澄み切っており飛び込んで泳いでみたい誘惑が生起した
・陸地は多くのペングィンなどが群生し、慣れるまで彼らの沖アミ糞の悪臭に悩まさた
・ペングィンやアザラシや数種の鳥類などの保存に努めたい
・自然のきれいで無垢な美しさが実感できた:
澄み切った自然の色:白、黒、青、透明
・南極条約に基づいて実施される各作業は印象的でした
初日実施の着用衣類の微塵吸引作業
ソディアック乗下船時の長靴の洗浄・消毒
船外で塵埃の投棄や汚物排便などの徹底禁止
船外活動時に[おしめ]を着用
・南極に一切の生物・異物・汚れを持ち込まない
現状の無垢で美しい自然を維持し、将来への保存
・南極上空のオゾン層の変化は大丈夫なのか:
文明地に住む我々の関心の高揚・鼓舞と維持
・科学の力も活用して南極の生動物(クジラなど)の無計画な増加・減少の予防
・
* 支援してくれた乗組員の皆さんについて
・船長以下乗組員の方、エクスペディションチーム、阪神トラピックスの
方の指導、支援は申し分なく最適だったと感謝します
・165名の参加者に対してそれぞれの立場で真面目に対応してくれました
・エクスペディションチームの方たちの解説、説明は特に有益
・食堂に勤務するボーイさんたちの親切で真面目で親しみあるサービスは顕著
・阪急社員(添乗員)の積極的・親切な支援は顕著でした
・ソディアックへの安全な乗降法の指導と支援は極めて適切で
誰にも初体験だったのに1人の失敗者も居なかったのは見事です
・パルカ、ゴム長靴の試着、供用はもっと適切な実施を希望
・
* 船内生活について
・船内で提供される三食の美味さと接待・待遇
アルコール類、おかゆ、味噌汁、割りばしなど無料提供され
申し分ない内容
部屋の冷蔵庫にウイスキーなど無料で準備
・船内は過度に広くないので講堂などへの移動が容易
・
* 総合所見:
参加料金は日割りで相当高額でしたが振り返ってみると
今回の南極紀行は最後のチャンスだろうと思われ
満足できる充実した16日間の研修旅行でした
支えてくれた皆さんにお礼を申します
有難うございました
- 以上 -
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