みなそれぞれ不幸があると思うが、
先ず、私の幸福は芸術に心酔できた事、最大の不幸は会社の駒として社会に属さなければ成らなかった事。
はじめたての創作ではとても食ってゆかれ無いから、〇〇会社の市川ですっとか云って、「俺は俺じゃねえか」って沸き上がる強力な自我。心酔しているから、芸術が万物で最も崇高であると揺るぎのない思想に基づく者からしてみれば、此れは言わば戯け。
地獄の様な気持で俗に染まりつつ、儚い収入を得て、それでも困窮し湯にルウを溶かし安い焼き鳥かなにかの缶詰を入れたカレーライスで一日の食事を賄うことはざらであったし、阿呆(あほう)みたいに戯けてばかりの自分を何とかしたくて職も替え、家が無くなって見知らぬ人とアパートで暮らしながら住み込みの農家のバイトをしたり、村の長屋でホームスーパーで買うたホースで身体を洗う様な不様な生活をしたりと、
それでも行く場所行く場所には、困窮を極める自分に何度かコンビニエンスストアーの惣菜を大量に買い、与えて下さった者が居たり、いまより余程つたない私のくだらぬ絵や売れぬ私家版の単行本を或いは金の、生活の為に購入下さった者、一般の者では在るが、芸術の才をみとめ信じて下さった者、などが居て、どうやら自分は他人に施され易い質、とか云うたらあれだけれども、其れも私にそなわる小さな幸福として受け止めておくと為る。居る。
自分より苦しい者をまわりに知らぬ程が、少しずつそうでも無くなってきている、と云うのは此れはまぎれも無い幸福。車を買えたり、詩を撚る時間がふえたり、少し嬉しい事があったのなら、好い寿司とか、そう云うもの無理無くさらっと食べに行けたり、はして、それでも当然裕福では無いのだけれど、其れは私は未だ未だ駆け出しの作家であって、未だ未だ拙い詩を書いて仕舞ったりもする有様であるからであり、
それでも存在のなか、矛盾と人生の本質をうばう社会の中世俗の中人間同士の中、不安の中愛の中悲しみの中、それを内面的に感じて居る繊細で生きづらくて、共感・共鳴する私とおなじ全て・各種の心の為に詩を書いてこましたるど。とは云うものの、今日は何だか訳が分からずにやる気が出ないので、詩作は諦め、何だか楽しく生ける、という俺の生の自由、惰性・怠けをも共感・共鳴して呉れるとも思っている。こころの為に。
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