早明戦録画をようやく見ました。
忙しかったのもあったが、それよりも恐ろしくてなかなか観られなかったのです。ラグビーが弱い明治を未だに認めたくない自分がいる。あれをスタンドで見ていたらどんな気持ちになっただろう・・・想像ができません。
全ての面で早稲田が上回っていました。個人の強さも、チームとしての強さも、気持ちの強さも。
後半は足が止まって、気持ちも完全に切れてしまっていたようでした。正視できませんでした。非常に残念な内容でした。ガッカリしました。
今の明大生は強い明治を知らない。かわいそうでなりません。
あれほど眩い光芒を放った明治の縦のラグビーもいつかは過去の栄光になり、それもいずれ忘れ去られていくことになるのでしょうか。かつてあの場所に居合わせた者の記憶の中だけで生き続けることになるのですか。
明治のラグビーは人生に影響を与えるんですよ。どんなに困難な障害が眼前に待ち受けていても逃げることなく真正面からぶつかり全力で突破をはかる。後退は死んでもしない。ひたすら前進しようとする。相手を引きずってでも。強い意志を持って。例え1cmでも。前へ。
バカみたいでしょ。ロスタイム、後3点あれば逆転できるのに、ペナルティーゴール選択せずにスクラムを組むとか頭悪すぎでしょ。目の前に相手ディフェンスがいるのにそこに突っ込むんじゃなく、相手がいないところにボールを飛ばして誰もいないところを走った方がたくさん点を取れそうじゃんね。
でも、そのバカみたいな精神に非常な価値があると思うんですよ。切羽詰ってどうしようもなく絶望的な状況に陥るようなとき、避けて通りたくなるような困難が待ち受けているとき、この気持ちを心のどこかに持っていることは大事です。それを思い出させてくれるのが、その勇気をもらえるのが明治のラグビーでした。
特に私なんかはすぐにもっと楽で合理的な方法はないかと考えて要領よくやりたがったり、むちゃくちゃ高い目標を設定してがむしゃらに突っ走るとか、絶望的な荊の道に敢えて突っ込むとかアホらしいと思ったり、とにかくリスクが嫌いで、0か100かなら最低でも40、あわよくば80も狙えるあたりで勝負するようなやつで、要するにダメ人間なんですよ。その戒めの意味でも、教えられるところが多々あったし、人間たるもの、その気持ちを失ってはならないのだと強く思えるようになったきっかけになったといいますか。
うまく表現できませんが
かつて国立競技場から人が溢れたのには理由がありました。そこにあった眼前のシーンに、スタンドの見物人はいろんなことを重ね合わせることができてたんじゃないかなと思えるんです。紫紺のラグビーは、幾多の名勝負を経て、いつしかそんな精神を象徴し体現するようになりました。単なる大学スポーツではない何かを期待されるようになりました。
そして今があるのです。
結果として負けてもいいんですよ。結果が全てではない。大切なのはその中身です。明治のラグビーに限っては、どうしてもそれを期待したくなる。
時代遅れのラグビーと言われようが、1つくらいそんなチームがスポーツの世界にあっても良いではないですか。サッカーや野球もいいけど、サッカーや野球ではここまでの夢は見られません。やっぱりラグビーでなければ。それも、明治の明治らしいラグビーでなければ。
大学選手権組合せ。1回戦の相手はリーグ戦4位の大東大。2回戦は恐らく京産大がくるでしょう。京産大はラグビーのスタイルが似ているイメージがあるので、面白い試合が観られそう。万が一にもあってはならないことだが、明治のFWが負けることは・・・ないよね(-人-)
この2戦を突破すればここ数年の悲願、正月越え!
勝負は下駄を履くまで判らない。学生は短期間で信じられないほど伸びることもありますからね!
まずは今週日曜日の1回戦。
そのジャージに袖を通している以上、意地と誇りを持って、死に物狂いで前へ出て、死に物狂いでタックルして欲しいんです。もう一度夢を見させてください(-人-)
こうして書いてると原理主義者みたいに言われるのでしょうけど。そんな大層な夢を重ね合わせられても選手は困るかも知れませんけど。
ええ、私はただの見物人です。
応援しています。