第28回日本SF大賞、最相葉月の「星新一 一〇〇一話をつくった人」に決まったとか。
一〇〇一って顔文字でも伏字でもないよ。「1001」です。そんなん言われなくても判るってか。
最相さんもその作品も全く知らなかったのですが、このタイトルを見たら「読みたい」と思いました。
星新一と言えば、私を読書好きにしてくれた大恩人と言っても過言ではありません。それまでも小学校の図書室なんかで本を借りて読んだりはしてみていましたが、読書を「こんなに面白いんだ!」と思わせてくれたのは星新一のおかげです。
初めての出会いはご存知「ボッコちゃん」。こういうひと、割と多いのではないかなぁ。
素敵な話もあるのですが、だいたいシュールで、救いようがないというか、「切ない」とか「悲しい」とかとも一味違う、シーンと冷たいようでその実温かいようで・・・なんともいえない世界観ですよね。初期の作品は特に素晴らしいものが多いと思います。
ぱっと思いつくところでは、「おーい でてこーい」とか「戦う人」とか。
・・・意外に出てこないな。1001篇もあるのに。晩年というか、終盤はちょっとマンネリな感想を抱く作品も少なくなかったのですけど。
ちょっと話が変わりますが。
「・・・と、そういうことになっとる」。
星新一の父の話で出てきます。星新一のお父さんの口癖だったそうです。なんでそういうことになっているのか、理由も判らないし、めっちゃ賛成なわけでも、かといって表立って反対なわけでもない。まぁどっちでもいい。納得いかなくなったら、或いは「そういうことか!」と超納得するときがそのうちきたら、判断はその時でも遅くはないから、取りあえず「そういうことになっている」ことを受容しておき、その通りにしておこう、というような態度というか気分というかそういう感じ。
思考放棄ではないですよ、今はまだそれが判るほどの知識も経験もないから、取りあえず偉い人のいうことは間違ってないんだろうと「先送り」をする。要するに出世払いです。「大人になったら判るからとりあえずその通りにしておけ」というような意味ですか。そうしとけば概ね間違いはないと。
それを表した口癖だって解説されていたかな。
以来、私の処世術というか、悩みの少ない人生を送る上において、ひとつの指針になっていった言葉です。こういう考え方をする人は、真理の探究や科学者には向いてないだろうなぁと思います。「そういうことになってるのか」って割り切れるから(・∀・)
理不尽と思われるルールや規則も、余程のことがない限りは、「そういうことになってる」のですかそうですか、とね。ほいほいとその通りにしたな。
「耳をすませば」に出てきた分数同士の割り算の話にも通じますね。片方の分子と分母をひっくり返して掛け算したらそれが答えだと。「そういうことになってる」んですよ。だったらその通りにすれば取りあえずはいい。それで正解。
・・・いいんだろうかこんなことで
まぁいいや。
部屋の本棚には今でもたくさんの星新一の新潮文庫が詰まっています。手に取る機会は滅多にないのですが、なんか手放せない。
今夜はちょっと読み返してみようかな。