山本浩二氏が野球殿堂入り!
野球殿堂に入ることがどんなに栄誉なことかは野球に人生を捧げた人しか実感できないものと思いますが、野球人として最高の栄誉なんだろうと想像します。例えば名球会と一緒にしてはいけませんぞ。
山本浩二。説明不要ですよね。ご存知「ミスター赤ヘル」でございます。カープの歴史を語る上でなくてはならない存在No.1です。背番号「8」はカープの永久欠番です。
私が小さな頃、最初に名前を覚えたプロ野球選手です。「最初に名前を覚えたプロ野球選手」というより、「最初に名前を覚えた有名人」かも知れない。
当時の広島では山本浩二といえばスター中のスターでね。ピンクレディーとか山口百恵みたいなもんですよ。「山本浩二・衣笠祥雄」と並び称されることが多いわけですが、扱いはどう考えても山本浩二の方が衣笠よりもだいぶ上でした。
とはいえ、私は浩二の記憶は薄いんです…
私よりももう5年10年くらい上の世代だと、ホームランバッターというよりも超強肩、超巧守のセンターで中距離打者というイメージの方が強いみたいです。
その頃はライトルって外野手もいてね。ライトはライトル。
当時は野球っても、投げる人と打つ人と内野のゴロを華麗にさばく人しか見えてませんでしたけど、今の目で、当時のカープの外野守備を見てみたいな、と思うことがあります。
相手投手の癖や投球の組み立てを看破することに長けていて、誰だったか、若手の投手がピッチングを浩二監督に見てもらったら、一瞬で次に何を投げるか球種を当てまくられたとかって「驚いた」という話をどっかで見たことも。「読みのコージ」という異名もとりました。
浩二選手が引退したのは1986年。カープはその年もセ・リーグ優勝しました。私は小学校6年生でした。引退直前でしたけど、終盤めっちゃ打ったんですよ。それも勝負を決める一打ってやつ。あの年、もし浩二のバットがなければ優勝は巨人だったと思います。ホームランは数ではない。最後まで4番の中の4番でした。
衣笠は「もう無理だろう」って感じの寂しい引退でしたが、浩二は惜しまれながらの引退でした。やろうと思えばまだできたと思います。最後までスターっぽかった!
今のプロ野球を取り巻く環境では、もう「郷土の英雄」とまで言われるほどの選手は、二度と生まれることはないだろうなと思います。
野村は、引退のとき、終始笑顔だったわけですが、最後に浩二監督から花束を受け取るとき、顔をぐしゃぐしゃにして涙しました。江藤、新井と、カープでドラフト下位から球界を代表するスラッガーが次々に出たのも、浩二監督あってのことかも知れません。
またいつか監督としてカープのユニフォームを着ることもあるかも判りません。北京五輪で走塁コーチやってる場合じゃないぞと。「名将」という感じでは正直ないのですが、やっぱり困ったら浩二。
何と言ってもスターだからな!
もう一度、胴上げシーンを見たいですね。
今季は、浩二レリーフを見に、久しぶりに野球殿堂にお参りしてこようと思います。