未来を拾いに

aikoのことしか頭にないひとのブログ

官僚たちの夏・第2話

2009-07-16 03:33:29 | 雑記

「わかってください」 
「通産省は味方なんです!!」 

大沢無線の社長が振り返る。額に「前進」の二文字。 

庭野さん(=堺)の目力! 


愛宕山にいったら、「テレビの父」っていわれる高柳健次郎が、世界で初めてブラウン管によるテレビ伝送・受像に成功した実験装置の、再現展示を見ることができます。 

「イ」 

って映ってる。 

1926年、昭和元年のことです。 
戦後、テレビの研究は、「電波兵器の開発につながる」ってんでGHQから禁止させられたそうです。 

で、日本でテレビ放送が始まった年が昭和28年。 
テレビの値段は25万円。サラリーマンの初任給が1万円程度の時代だったそうなので、単純計算で月給25ヶ月分。 

通産省は、外国からのテレビの輸入を原則禁止して、自動車と同じく、国内のメーカーを育てようとしました。 

第1回の自動車もそうでしたが、テレビも「一家に一台」にするのはたいへんで、そこにもドラマがあったんだなぁ 

電波塔・東京タワーが完成するのは、昭和33年12月のこと。 
アジア初のオリンピック、東京五輪が開催されたのが昭和39年のこと。 

うちの親が小学生とか中学生とか高校生だった頃の話です。 



第3話予告。 

池内(=北大路)が3度目の通産大臣として通産省に戻ってきました。 
繊維摩擦でアメリカからの圧力を受け、繊維の対米輸出自主規制を通産省にのませるべく! 
海外に飛ばされ煮え湯を飲まされていた国際通商派の実力者っぽい2人(船越英一郎と高橋克典)も霞ヶ関に帰ってきて、
国内産業保護派には逆風が吹き荒れるようです。 

「これだけの企業が倒産するっていうのか」 
「半分の企業が救われるんなら上出来じゃないですか・・」 

「半分は潰れても平気だっていうのか!」 

「世界は東西冷戦の真っ只中だ」 
「日本の繊維産業を外交取引の犠牲にされるおつもりですか」 

「企業が倒産して、その社員や家族が路頭に迷います」 

地方から出稼ぎ? 
上京して繊維工場で働く「金の卵」の皆さん。 
堀北マキさんみたいな。そして社長さん。 

「通産省の横暴を許すな!」 
「我々に死ねというのか」 
というプラカードを掲げて必死に抗議する繊維産業関係者たち。 
保護派の通産官僚の胸倉を掴み「おれらを殺す気かー!」 

国際協調派の玉木も、一人グラスを壁に叩きつけて・・ 

風越さん。 
「私は大臣に雇われてんじゃない国民に雇われてんだ!」 




予告でお腹いっぱいw 

激アツ! 


んじゃまた。