私らはよく、「優先順位をよく考えて仕事しろ」と言われます。めっちゃ言われます。
来た順番に仕事を片付けてったらダメ。お客の怒り度とか、求められる解決時期の切迫度、解決までにかかりそうな時間と人手の見積もり、そもそもそれが重要なのかそうでないかの判断も大事です。
仕事は多く、時間は少ないので、より効果が大きく、価値が高い仕事を優先しないとダメ。「最悪やらなくてもいいじゃん」「よーく考えたらやる必要あるの?」みたいなのに時間を使うのは、努力をして頑張ってはいるかも知れないけれども、良い仕事とはいえません。
「全部優先度高いです!」というのは、「全部優先度低いです」と言ってるのと同じだと。判りますよね?
これが、「救命の優先順位」だったら・・・
間違ってはいけないところですが、「命の優先順位」ではありません。命に優先順位はつけられません。金持ちだから先とか、若いから先とか、親や子がいるから先とかね。
昔の、絶望的な戦場へ赴く部隊とか、タイタニックの船上とかだと起きるかも知れませんが。だってにんげんだもの。
ではなく、飽くまで「救命」の優先順位です。「誰から先に治療を施すべきか」という優先順位。
どんな気分でしょう。
私なんかだったら、想像することすら難しい心理状態におかれそうです。
◆NHKスペシャル「トリアージ 救命の優先順位」
先日、たまたま録画できてたので見た番組です。2005年4月25日に起きたJR西日本の福知山線脱線事故。乗客106名、運転士1名が亡くなり、多数の重傷者が出ました。
昨日はあれから丁度3年。月日の経つのは早いのか遅いのか。たった3年前なのに、なんだかとても昔のことのように思われて。
この日、混乱する現場で、医師や看護士、救急救命士らが、「救命の優先順位」を次々に判定して、病院へ搬送する怪我人の優先順位をつけていきました。
トリアージとは?
番組でも冒頭に解説されていましたが、wikipediaに判りやすく記載されているので引用します。
>人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の救命効果を得るために、
>多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定する方法
です。
具体的には、怪我人1人当たり30秒という短時間のうちに、その容態を診断して、病院に搬送する優先順位を判定し、「トリアージ・タッグ」という札をつけていく、という作業だそうです。
↓トリアージ・タッグ
怪我人の重傷度に応じて、必要事項を記載し、下部のカラー部分をちぎり取ります。
黒:死亡、もしくは現況以上の救命資機材・人員を必要とし救命不可能なもの。
赤:生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置が必要で救命の可能性があるもの。
黄:今すぐに生命に関わる重篤な状態ではないが、早期に処置が必要なもの。
緑:救急での搬送の必要がない軽症なもの。
大災害や大事故では、多数の死傷者が出ます。病院施設の収容能力や、医師の人数、輸送力の大きさなどの限度を超える数の重傷者が出た場合、同じ怪我人でも、「一刻も早く治療しないと命が危ない重傷者」と「少しだが治療を遅らせても命に別状はなさそうな重傷者」では、前者をより早く病院に運んで治療して救命しなければ、助かる命が助かりません。
「手当てしても命が助かる見込みがないほどの重傷者」と「早急に治療すれば命は助かるかもしれない重傷者」でも、後者を先に病院に搬送すべき。
より多くの命を救うために、という考え方が背景にあります。
しかしながら。
―傷病者が圧倒的多数の場合は、できる限り多くの人命を救助するため、処置を実施しても救命の見込みが無い傷病者は切り捨てる、すなわち見殺しにせざるを得ないという現実的な側面がある。この「切迫した非常事態のため、ある程度の見殺しはやむを得ない」という前提が存在する事で、初めてトリアージはその意味を持つ。
ということです。
理屈としては判りますが、人間には感情があります。実際にその現場で何があったかを事細かに取材し、検証と課題の提示をしてました。
繰り返しますが重かった・・・
次々に画面に映し出される、当時の現場の医療活動の映像。
携わった医師や看護士の証言。
命を救う仕事の人たち。本当に立派だと思いました。
何色のタッグと判定するか。
ある医師は、「赤」と「黄」の境目が重かったと語っていました。「赤」をつけると、その人は真っ先に病院に搬送されます。が、「黄」をつけると、その人は赤の人が搬送されきるまで現場で待たされることになる。「黄」だからとて、「しばらくは待てると判断される」というだけで、重傷です。意識はあっても、出血が酷かったり、骨折していたり、内臓に損傷があったりします。
何色をつけるかは基準があるのですが(番組内で説明がありましたが割愛)、それでも診断のときは、精密検査でもない現場での30秒の検査。容態が急変することだってあります。
だから、基準に従って「黄」をつけて次、というときに、「とても苦しがっているけど、頑張ってくれ」「容態が急変したりしないで無事でいてくれ」と祈るような、後ろ髪を引かれるような思いでタッグをつけていったと。
自分の「赤」のトリアージを覚えている重傷者のひと。大量の出血で意識が朦朧として、もうダメだ、と何度も思った。けど、赤だったので、真っ先に搬送された。救急車の中で、助かるかも知れない、と思えた。今思えば、あの時「赤」だったから助かったんだと思う。本当に本当に感謝している、って。
一方、自分の「黄」のトリアージを覚えている重傷者のひと。黄色だったので、病院に搬送されたのは事故から2時間後だったかな?そうです。一言一言、間をおいて、言葉を搾り出すように語っていました。とても苦しかったけど、自分は黄色なんだ、もっと重傷で一刻の遅れも許されない重傷者がたくさんいるんだ、ということがだんだん理解できて、理解できたから・・・待てました、って。
真っ先に自分を病院に連れてって欲しいじゃないですか。自分だって診立てが違ってたら死ぬかも知れないです。けど、待てたって。あんな現場で、命に関わるような大怪我をして、それでも。こういうときに人の根っこの部分が出るんだろうな。偉いです・・・
「黒」をつけるのが重かった、と語る看護士さん。「黒」をつける場合、その方は病院には搬送されません。黒は、例え息があっても「助からない」と判定する、ということになります。
「その方の携帯がなったり、着信履歴が何十件もあったりするのを見ると・・・」「たくさんの人が今この人を心配している、探している、と思われて・・・」
息子に黒タッグをつけられたお父さん。息子さんは、あの事故で亡くなっています。未だに「あのとき息子はまだ生きていたのではないか」との思いが捨てきれない。当時の息子さんの現場の写真を見ると「酸素マスク」がつけられています。「ということは、息があったのでは・・・」って。真っ先に病院に搬送されて、手を尽くされていたら、例え小さな確率であっても、助かったかも知れないのではないか。手を尽くしたが助からなかった、ならまだしも、どうしても納得がいきにくい。
たくさんの黒タッグをつけた医師の方は、それは人間だからものすごい重圧や葛藤というものは勿論ある。医師だって生身の人間なのだと。が、1人1人それを思っていたら、医師の精神が崩壊してしまう。現場では努めて、そのことは思わず、よりたくさんの命を救うため、冷静にトリアージしていったと。自分に「マシーンになれ」と暗示をかけるような感じでしょうね。
医師や看護士になるような人は、「仕事が面白そう」とか「給料が高そう」よりも、使命感というか正義感というか人間愛というか、なんかそういうものをたくさん持ってないとダメだ・・・
と心底思いました。
私がやったら1日で潰れます。
この「トリアージ」が日本でも普及するようになったきっかけは、阪神淡路大震災の教訓からだそうです。そして、それが初めて大規模に実施され、実際に医師たちや看護士たちが、「トリアージ」に直面した例がこの事故だったんだとか。
こんな仕組みがあるんだ、ということを、この番組で初めて知ることができました。