未来を拾いに

aikoのことしか頭にないひとのブログ

広島→松山

2009-10-14 00:46:03 | 紀行

まぁ港いって、きた船にのってけばいけるだろう。 

 

電車に揺られて本川小学校、相生橋を渡る。 
右手前方に原爆ドームが見えてきます。 

この景色、よーく覚えてるんです。たぶんまだ小学校に上がる前。 
とても小さい頃の記憶があるんです。 
母親に連れられて電車でそごうにいくときに、窓からこの景色を見てね。 
ひとつだけ明らかにオンボロな建物があるわけじゃないですか。 

「あーボロい家!」 
「なんで新しいのにしないの?」 
「貧乏な人が住んでる家なの?」 

ってね。 

「大人になればわかるんよ!」 

って言われた。 


父は広島の人間ですが、母は静岡から父に拉致されてきた人ですからねぇ。 
電車で周りの人の目もあったろうし、今思えば回答に困る素朴な疑問だったんだろうなと。 

小さい頃の記憶って意外と残ってるものですからね。子育て中の方々は発言に注意召され。 


そんなことを思い出しながら、左手には旧広島市民球場。 
そごうの前を右に折れて~ 

そういえば港の方にはすっげー小さい頃に行ったことがあるような気がするくらいだなー 


 

広島港到着。 
松山にいくには、「スーパージェット」っていう小型の高速船と、普通のフェリーがあります。 
ジェットは片道6500円!けど1時間ちょい。フェリーだと安いけど2時間30分。

・・・フェリーの方がのんびりできそうな気がしてたんですが、丁度5分後にジェットが出る! 
って時間についたのでジェットの切符買って乗船。 

  

↑こんな船です 

 

↑NHKドラマ「坂の上の雲」のポスター。楽しみだね~ 


船は呉港に寄港してから松山観光港へ向かいます。 

 

↑こんな感じ 


呉は明治から戦前までは日本でも有数の軍港ですよ。 
向かいの江田島には海軍兵学校といって、海軍の士官学校がありました。 

うちの父方の祖父は鳥取の出身なのですが、海軍に入って呉にきたところ、呉に住んでいた祖母に捕まったのか、祖父が捕まえたのかは知りませんが、結婚して。 
昭和19年に「靖彦」って父の兄が生まれたのですが、栄養も病院もなく1歳にもならないで亡くなり・・・戦争が終わった後の昭和22年に父が生まれたそうです。 
父は「和彦」ね。なんか名前のつけ方にも祖父母なりに意味を込めたような気がしませんか。 

そんなこんなで、呉には今も海上自衛隊がいます。 

  

父の実家が呉なので、こういうのも普通の人よりは身近に感じて育ったような気がします。 
祖父母や両親に、観艦式とか、乗艦体験とか連れてってもらってね。 
潜水艦とか! 
小学校低学年の頃からやけに戦史や軍艦の名前に詳しかったりして。 
今でも真珠湾にいた8隻の米戦艦の名前とか、旧日本海軍の戦艦全部、すぐに出てくる。 
なんの役にも立ちませんけどな。宇宙戦艦ヤマトとか大好きな子どもでした。 

 

↑これ最近できたらしい。まだ一度もいったことはありません。まぁまたの機会に! 


呉を出てしばらくすると、船が減速。 

 

「音戸の瀬戸」を通るんだ~ 

音戸の瀬戸、というのは広島では有名ですが、全国的にはあまり知られてないかも。 
さっきの地図で、「倉橋島」と「呉」の南に突き出た半島の間に細い海峡を通っているのが 
わかるかと思いますが、そこを「音戸の瀬戸」といいます。 
幅はわずか90m程度しかなく潮の流れが速い。 
海峡の上にはきれいな赤い橋が架かっててね。音戸大橋。 

「この海峡は、平安時代に日宋貿易のために平清盛が1167年、開削したといわれている。 
伝承によれば一日で工事を完了させるために夕日を招き返したという伝説がある」 
-Wikipediaより。 

古い歴史のある場所なんですな。 
宮島もそうですが、ここらは平家ゆかりの地なんです。 
瀬戸内海は平家の池ね。源氏に負けちゃったけどな。 
負けイメージが強いかもわからんけど、清盛公は偉いんだぞ! 

何百年もの間、数え切れないほどのいろんな船が、ここを通っていったんだろうなー。 


音戸の瀬戸を抜けたら、松山までは高速航行! 
瀬戸内の島々に行きかう船ね。いい景色。いかにも旅行って感じ♪ 
船内はお客もまばらで、簡単な売店が1ヶ所あります。船外デッキには出られません。 

  

松山観光港到着! 


・・・続きは明日。 


んじゃまた~