12/7(日)NHK総合。ドラマです。
感想を書こうと思いましたが。まとまりませんわ。
重いテーマでした。一時も目を離すことができなくて。
いろんなメッセージが詰まっていました。いろんなことを考えました。
しばらくはこのドラマのことが頭から離れてくれそうにありません。
これは、左田野修さんという方の獄中の手記を元にしたドラマだそうです。
最後に、左田野さんとお母様の写真、左田野さんの手記と思われる写真が紹介されます。
HPの、製作者のREPORTには、「実話8割、フィクション2割」と書かれていました。
東京裁判については、文献をいくつか読んだことがあります。
歴史を知りたいと思うからで、学校の課題や研究ではありません。
私のスタンスですが、偏っていると思えるものは極力選択せず、なるべく客観的で、平明で、事実のみを公平に伝えていると私自身が思えるものを読むようにしています。
判断基準は、筆者が自らの主張を織り込んでしまったり、材料を恣意的に選択してしまうことを自戒していると感じられるものかどうかという点になるのですが、でもやっぱり難しい。
今も、さまざまな見方があります。複雑な。
それなりの知見はあると思っていましたが、こういう心への響き方はなかったです。
巣鴨プリズンがあった場所には、今、サンシャイン60ビルが高くそびえ立っています。
私もよく通る場所ですが、かつてそれがあったことをしのばせるものは、今はないんでは。
私はその時代に生きたこともないし、なにかを見たわけでも体験したわけでもありません。
そう簡単に「こうだったんだ。だからこう思う」とか「だからこうしなければならない」とか、いえないわけですよ。いろんなものを見て、聞いて、よーくよーく考えてるつもりでも。
むしろ、いろんなものを見て、聞いて、よーくよーく考えれば考えるほど、そんなに白黒はっきり断じることはできなくなるはず、というのが実感です。
ひとつだけ言えるかなと思うのは、直視しなきゃいけない、知らなければいけない、ちゃんと考えなきゃいけないってことだと思います。
カンペキな答えは今は出なくてもいいので。
一人一人のそういう思考経験が、将来もし何か、「おかしい」と思える方向に世の中が向かおうとしたときに、その流れをストップさせる大きな力になるのでは・・・と思えます。
普通に考えていったら、考え方の芯の部分はおのずとある方向にできあがってきます。私だけかも知れませんが。いや、私がそうなのだから他の人もそうかも知れない。
それを「洗脳」という人もいるようです。が、果たしてそうなのでしょうか。
「普遍的」ということは、時代によって変わるものでしょうか。
そういうものは、「普遍的」とは言わないのでは。
あの時代でも、「変だ」「なぜだ」「どうして・・・」と思っていた人はいっぱいいたはずと思えるんです。そういえない何かがあっただけで。
違ったのでしょうか。
例えば、学校でこんな体験はなかったでしょうか。
身近にいじめを受けている子がいます。
あなたはどうしましたか。
ひとりでは何もできなかったかも知れません。
が、多くの人たちが勇気を出せば止められたかも知れません。
みんなの心に共通の芯があることが前提になると思いますが。
人間そんなにきれいにできてないとも思いますが、きれいだと思うところもあると思います。
両方あるのが人間ですって。
そこのところは、時代が変わってもあんまり変わらないんじゃないかと思うんです。
だから繰り返すかも知れない。
けど、経験して知っている痛い目であるなら次は同じことはしないのでは。
結末がああなるとわかっていたら、或いは予想できたら、ああはならなかったのでは。
今の自分たちには予想するに足るだけの民族的な体験というか経験があるはずです。
戦争はあった。多くの人が死んだ。日本は負けたー
小松左京「戦争はなかった」に出てくる一節。
風化させたらいけないと思います。
もちろん、タブーにするのもよくない。
語り継いでいくためにも。
その役割を、80、90過ぎたお年寄りの方々に、いつまでもお願いしているわけには;
そういう意味では、今の日本みたいな国は、世界中のどこにもあんまりないと思います。
とても良い国になったと思うのですが、いかがでしょうか。
で、そんな国になれたのは誰のおかげ?
ほら、またわからなくなったでしょ。
本当の答えは、いつも、0とか10のところにはなくて、6とか4のところにあるんだと思っています。
けど、0か10を選ばなきゃいけないときもあって。
そのときは少しでもマシな方を、しっかり選べるだけの素養を養っておかなきゃいけないと常々思っています。
最初から何かの結論ありきでそれ向けてまとめようとするのではなく、頭に浮かんだことを次々に書いてったらこうなった。
ではではおやすみなさい。