ガザ・パレスチナと共に生きる 白杖記

◆ひかるの呟き◆12/3

ガザ北部への攻撃で今日もガザの人々が殺されている。ハマスとファタハの話し合いが始まったとある。
これまではこの合同会議や統一政権は必ずイスラエルの攻撃で崩されてきた。今回もそうなるのだろうか、ICCへの最大の資金援助国は日本だそうだ。ICCトップも日本人の赤根智子さんだ。この発言は心強い。問題は行動だが、国際世論への影響は大きい。この赤根ICC署長の言動に日本政府の対応が注目される。記事紹介の一番最後の画像に注目してほしい。ガザとイスラエルの子どもたちの戦時下の日常の姿が報道されている。ガザの戦時下の日常について、私たちに大きな思い違いがあると思う。私は見えないが。ニュースなどで繰り返し流される国連の食事支援にやせこけた手で。空の皿を握りしめて、突き出している映像がガザの日常だとの思い違いがあるのではないだろうか。悲惨な姿は心に焼き付くから当然だと思う。


福岡市で闘病生活を強いられている友人のガザに住む家族の話で気づかされた。それはガザ市から、何度も逃げ回り、現在はハンユニス近郊に避難している彼らは、日常生活をきちんと過ごすことに必死なのだ。
食料を手に入れるために、水を確保しそれを部屋まで運ぶために一日を費やす。この日常生活を維持することに必死なのだ。その生活の知恵は日本の戦後の闇市を生み出している。彼らがガザの写真を送ってくれた。ネット環境がよい時にだ。そこには抜けるようなガザの青空の下に、瓦礫を背にして。市場ができているのだ。市場のにわか作りのテントの前には、汚水の流れがある。写真はブログ「パレスチナ・ガザ/時を共に、遥かなる空の下で」にアップしてある。

http://blog.goo.ne.jp/yasmeen_2017

この写真のなかに、市場の向こう側にガザのビーチが写っている。このビーチにパラソルが広げてあって、椅子に人が座っている。ビーチでくつろいでいる写真なのだ。
ガザ攻撃の最中に、戦時下なのに、と私はびっくりした。話を聞くと、猛暑のテントの中はうだるような暑さ。クーラーも冷蔵庫も動かない。唯一の涼はビーチであり、海なのだ。市場では水着も売っていた。これが戦時下を生き抜く生活の知恵なのだろう。今は市場から食料が消えた。一方では、検問所で食料搬入を規制するイスラエル軍と、その掌で踊らされているのではとしか見えない地元一族のギャングやハマスの食料トラック強奪をめぐる抗争がある。飢饉で死に追いやられる野はガザの人々だ。
このガザの人々が今生き延びるために、彼らに届く援助が必要だと思う。知恵とお金の支援をお願いしたい。

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