山形に仙台から山形自動車道経由で入りました。
1時間30分弱、頻発運転しています。途中は牧歌的な光景です。



山形市内一の繁華街だと思うんですが、こじんまり・・


名物で一杯やります。
面白いこと・・銘酒十四代ですが、山形産酒ながら山形には出ないと・・
なんでも、すべて東京に出荷されてしまうので山形にあるものは東京からの”逆輸入”品、当然としてコストも張ると・・ へ~

旅先では基本ご当地のものを食べる。
そう決めてるんですが、目の前にあるとついつい・・
博多のもんですたい。
ごめんな、山形の麺たち。

朝の散歩で月山を望みます。

こちらは朝日連峰。
山形城を数枚。公園として整備されています。



最上義光。
”よしみつ”で通用していたと思いますが、身内への手紙にひらがなで”よしあき”と書いてあったと、以降よしあきになったようです。
わかりませんけどね。正式な名乗りはよしみつで、身内へはよしあきとかもないですかね。
ただ、義光は家庭が悲劇の武将。
縁戚である仙台伊達氏と争い独立を得て光明だったでしょう。
もう一発ということもあったかもしれません。
時の権力者豊臣秀次に美貌をうたわれた娘駒姫を献上します。
献上ではなく、秀次に強く所望されたという説もありますが、どうなんでしょう?
献上では悲劇性が薄れるので後の世の人が所望と解した?
もう悲劇と結論を言ってしまっていますが、子のない秀吉にとって跡継ぎと頼む肉親秀次、そんな折秀吉と側室淀君の間に秀頼が誕生してしまいました。
秀次、跡継ぎから油断ならない邪魔者に転落です。
謀叛を疑われて死に追いやられます。切腹という名の暗殺なのか自害なのか不明です。
悲劇はそこから・・本人のみならず関係者全員連座、その中に駒姫が含まれていたというものです。
齢15、中学か高校生くらいです。まだ側室になる前だったとも伝わります。
あまりにも不憫で救命をと声が上がり、さすがの秀吉も駒姫の処刑中止の早馬を出したとのことですが、着いたときには既に終わったところだったと・・
この報に夫人も悲嘆にくれ病死・・つらいところです。
それにしても秀吉の徹底ぶりはすごいです。おれは信長のように甘くないと言っていたとか・・

山形城東大手門、この至近をつばさ号が走ります。

どっしりした霊峰月山を望みますが、城、駅周辺からは建物の影で全貌は望めません。
じっくり見たいやまです。

繁華街に建つ斯波兼頼象。
斯波氏は室町幕府三管領の筆頭という名門です(野獣に喰い散らかされるかのように次第に勢力を奪われていきますが・・)。
その係累兼頼が羽州探題としてこの地に配され最上氏を名乗ったと言います。
最上氏は長続きしていません・・
山形で駆け足で山形城(霞城)、御釜、山寺を見、山形新幹線で帰京しましたとさ。