尼崎城でうめを見ました。
城は実際にあったものですが、現存ではなく復原です。
しかも篤志家が建築して市に寄贈したという大変な代物です。
ポストも”ご当地”です。
その後、歴史博物館を訪ねます。
当地といえば阪神タイガース、村山投手のユニフォームです。
当時は阪神ではなく大阪タイガースだったのがわかります。
ここでも尼崎城です。
城が軍事拠点だったことを示す構造です。
渡橋はわが身を晒すことになり、危険極まりないです。
それでも突破して門を破ると四方を囲まれた遮蔽物のない地面。
狭間(いわゆる銃眼)がにらみを利かせます。
大手はさらに険悪、土橋部分は寄せ手に対し疑似多聞として機能したことでしょう。
その統治下の村、村・・
所領の石高により年貢が課され、支配層には所定額が今でいう給料として支払われます。
ただ、藩の窮乏・・所定額まで給されることなくなっていたようです。
平和な時代、武家は官僚としての意味合いを深め、甲冑は単なるお宝になっていった時代ですね。
この時代も不穏な客。
ロシアからの外交船ディアナ号です。
もちろん軍船、またしても”黒船”です。目的は・・そう、”恫喝”ですね。
こちらは平和。我が家にもあったな~
館ではいま災害記録を展示しています。
そのうちの一つ、阪神大震災における新幹線高架落下。
不幸中の幸いです。
新幹線が運行中であれば、人的被害が大幅に増加したことでしょう( ;∀;)
歴史のイフで恐ろしい記憶ですが、面白い面も見せます。
これは当時バカガキ、くそがきの仕業で”けしからん!” そのものだったでしょうが、今となっては味を出しています(#^.^#)
もう一度・・そう思うともうナビなしでも行けますが、我が家のナビにはまだ表示されていません。
車ももうだいぶ頑張ってきました・・( ^^;)