黙祷
2012.3.11 理容室ニュー清水にて
とんでもない大地震が2011年3月11日午後2時46分に起こった。
とっさに、ひな(マルチーズ犬)を抱え茶の間から店(理容)を通り外に出た。
外は、電柱が揺れ、電線が大きく波うちながら倒れている所もあり、近所の工場からは作業服を着た人たちが
外に出てきていた。これは絶対に津波が来ると思った、娘も「お父さん車で逃げよう」と言ったので
娘の車と自分の車で高台へ走ろうとしたが、妻は裸足でヨタヨタと道路にしゃがみ込みそうだった。
抱えて車に乗せ、孫2人が通っている大船渡保育園へと走った。
写真一 水が溜まっている所は道路です、津波後に通れなくなった。
津波襲来まで、約40分くらいの時間が大船渡町台町ではあった。
想像を絶する大津波が襲来するとは・・・・・・・・
驚くしかない・・・・・・・
唖然・茫然
孫たちの保育園も津波の危険を感じ徒歩での避難、母親である娘も一緒に
私とセツ子(妻)とひな(犬)は後から行くことにしたが、
国道45号は大渋滞
セツ子は膝が悪いので歩くのが困難かも・・・そこに偶然に
保育園児の親が来て、園児はどこに避難しましたかと聞かれたので
多分、大船渡北小学校だと思います、
私らも行くんです乗せてくれませんかとお願いし
同乗することが出来た。
大船渡北小学校周辺の高台には、多く避難してきている人々でいっぱいだった。
大きな余震が度々起こって、その度に人々の悲鳴が聞こえる。
子どもたちは泣き叫ぶ・・・・・・・恐怖と寒さで・・・
大船渡北小学校の体育館へ入ろうとしたが、
入り口で一人の女性が、「ここは北小の生徒優先ですから」と言って
園児や一般人が入るのを制していた。がぁ~ンとなった
外は灰色に曇り雪が降り風が吹き余震が続く・・・
私らは、犬を連れ5歳児4歳児と大人三人北小を後に民家を探しにさ迷った。
最初に身を寄せたのは、民宿鳥井荘さんでした。
鳥井荘のおかみさんが「いいから、いいから、狭いけど入って」と受け入れてくれた。
しかし、停電で真っ暗で更に余震が度々起こり子供たちも不安が募り
狼狽えなだめるのに大変だった。
鳥井荘さんには申し訳ないが、更なる避難先を求めで外に出た。
近い所に、市治建設さん(娘夫婦が新築依頼している工務店)の家があることに気づいた。
歩いて5分とかからない場所でした。
市治建設さんの息子さん(修司君)は娘と同級生。
暖かく快く、私たち家族を向かい入れて下さった事には感謝の気持ちでいっぱいです。
その晩は、1人で居た母親と、仕事で別々にいる娘の旦那と息子たちの安否と
余震のために一睡も出来なかった状態で一夜を明かした。
つづく
早かったのか、遅かったのか。
色々な事がありすぎて、困った事も、嬉しい事も。
3.11は決して忘れることが出来ない日。