昨年、ペイントの手伝い(ボランティア)をしてくれたJimmy君がやって来た。
懐かしいと 外も内も見て
これから北海道へ行くと言って帰って行きました。
中央 Jimmy君
ハビタットの誰だっけ?
昨年、ペイントの手伝い(ボランティア)をしてくれたJimmy君がやって来た。
懐かしいと 外も内も見て
これから北海道へ行くと言って帰って行きました。
中央 Jimmy君
ハビタットの誰だっけ?
2012年8月31日 今年の8月も今日で終わりです。
まだ、まだ、住宅は建ちません、建てられません。
なんたって、土地の持ち主(地権者)との交渉が進まないようです。
雑草だけは元気です、勢いが良いです。
この状態が9年続くのでしょうか??
株式会社・有限会社等々の企業組織は、
中小企業グループ補助金制度の活用での店舗は建ってきた。
中小企業グループ復興事業計画認定申請書50ページもの資料見たときには
主催はNPO西山夘三記念すまい・まちづくり文庫
第13回 夏の学校in大船渡
「東北で大地と海と人とまち・住まいを考える」と題し
建築、住居、まちづくりに関心のある
全国の大学、大学院、短大、高専等の学生さんの前で
畏れ多くも、一床屋のおやじとして大船渡復興のための一助としての体験をもとに
8月29日(水)午後3時30分頃から
大船渡町のホテル福富さん内で有りました
ホテル福富正面玄関から見ました
左、大船渡プラザホテル ・ 右、大船渡マイヤ元本店(間もなく解体予定)
間に 理容室ニュー清水
須崎川
ホテルロビー
2011年3月11日から 今日までの体験
3.11の時にはどのようだったか
どのように避難したか
理容室ニュー清水が早期営業再開出来たのか、
カラフルなペイントハウスにどうしてなったのか等々、
そして、これからの大船渡のまちづくりに対しての思いとか話しました。
3.11から撮りためた写真を紙芝居風に見せながら説明
質疑応答もありました。
大船渡の復興も他の被災地の復興も
人が居なければ「にぎわいのまち創り」は難しいのではないか、
如何にして、大船渡に人が集まるかを
大学生の皆さんに、発想して頂き「魅力ある街づくりの参考にして頂きたい」と
お願いし終わりましたが、
お約束の時間30分くらいの予定時間を
大幅に時間オーバー (学生の皆さん ごめんなさい)
良い体験をさせて頂きました。
このような機会を与えて下さいました、
佐藤隆雄先生、塩崎賢明先生に
感謝し、お礼を申し上げます。ありがとうございました。
8/28 早朝、5時30分頃、大船渡町野々田辺りで、
軽自動車から、スケツチ用具を出して描きだした。
見ると頭髪は白髪、付添いの女性の方もご年配である。
ちょっと気になり近づいて「どちらからお見えになりましたか?」と尋ねると、
「長野県から来ました、テレビ、新聞で被災地を見ているが、
何としても生で、肉眼で見て記録にしたい」と話していました。
その人の名前は「宮川博行」と言う方で、長野で5月20日に個展を開いたと言っていた。
長野県の方が大船渡で被災後の有り様を水彩画で記録にする。
今では、水彩画会でも最古参の方ですとも語っていた宮川さん。
8/28 今朝は、つくしさん と のろこさん の 絵を 撮ってきました。
昨日の月曜日は理容組合同業支部講習会があったが・・写真なし、支部の広報部長さんにお任せ?
のら大工一号?の西徹さんと音楽家の田村大樹さんと
大船渡復興のための会談。
今日は、真の笑いとご縁をとことん追究する「えにしのざ」
便利屋えにし代表・日本笑い学会会員幹事の松井伸行さんが友達と来ました。
ご縁です 松井さんも西さんも 今後共宜しくお願い致します、
木川田典彌・勝久会理事長が全老健会長に就任
祝賀会が大船渡プラザでホテルで関係者が盛大に祝福したと東海新報で知った。
おめでとうございます。
勝久会創立と共に 私がいる と言っても過言でない。
平成3年11月16日に母親から頂いた生体腎臓で
勝久会「木川田典彌理事長」・地ノ森クリニックで生体腎移植手術が施術されたのだ。
11月で生体腎移植21年目を迎える
これからも 勝久会地ノ森クリニックにはお世話になります<m(__)m>
今日の一番客は、東京都世田谷の西さんです。
黒のバイクで到着です。
黒バイ 何処へ?
昨日は 白バイ?の山口さんが来店
颯爽と盛岡へ帰還
浸水地域土地測量が店の場所でも行なわれている。
因みに、現在、営業している場所にも 約2メートル位の津波が来ている。
此処のコンクリート擁壁にツル草が生い茂っている所に蜂が巣をつくっている。
昨日、測量作業員の方が近づき 蜂に刺された
アシナガバチだそうだ。
今日、ジェットスプレーを持って駆除に来てくれた。
右手の包帯が痛々しい、昨夜は、腫れて指が動かなかったそうだ。
作業員の方には、早めに病院で診てもらうよう伝えた。
一応、ハチの巣は蔦から外し地面に落ちた。
又、何処かに巣を作るのだろうか?
保育園が近いので心配だ。
大潮
地震が起こったら津波が来る
「てんでんこ」
てんでんとは、別々に、一人一人が逃げることで
自分の命は自分で守れと言う教えが気仙地方にある。
それは、山下文男さんの「津波てんでんこ」
三陸地方の言葉で「てんでんばらばらに」の意味=津波が来たら他人にかまわず、それぞれに必死に逃げよという教え
てんでんこに逃げて悔やまれることもある。
一方・・・・・・ 群馬大学の 片田敏孝先生の
想定外だったら 想定内を考えように 共感
http://koukou.passnavi.com/index.php/junior-h/12-tokubetsu/nisinooka2
http://www.nhk.or.jp/sonae/mirai/tokubetsu_3.html
今日、残念ながら甲子園から真紅の優勝旗を東北に持ってくることが来なかったが
光星学院 準優勝 おめでとう
猛暑! 思いのほかの 猛暑だ。
北極の氷が解けていると言うし、台風が太平洋側を北上しないし異常気象だ。
2011.3.11以来異常気象と巷で言われている。
昨年の今頃は 曇りで小雨が多かった
瓦礫を眺めながらペイント作業に入っていた
ミヤザキケンスケさん
2012年の8月22日は猛暑
一年五ヶ月経過 緑の雑草だけが元気がいい。
お盆休みも、何やかやで疲れたなぁ~
今日の大船渡 暑いです。
雑草は伸び放題 このまま雑草地ではないと思うが・・・。
なかなか 嵩上げ工事も始まらない。
大船渡の街はいったいどうなるの?
お盆休み15日、父の妹、叔母(79歳)が亡くなったと電話が午前3時半頃に・・・諸々の準備で一日終わった。
納棺師が 仏さんが天国へ 旅立てるように 身支度を丁寧に施して下さった。
大船渡は32度もの気温の中、粛々と
16日は火葬。
17日から通常の仕事、
今夜は通夜 明日 葬儀
父の兄弟、5男6女の11人であったが、2名の叔母のみとなった。
寂しいものだ。
今更ながら、震災前の状態だったら と思う・・・・・・・。
震災後、2度目のお盆を迎える。
震災で、身内を亡くした方たちの気持ちを思うと・・・・。
生きている事が幸せと思わなければ・・・・。
今朝は、娘夫婦と孫2人と墓参り
小雨模様 穏やかな朝
長安寺
長安寺の池にいる 鯉にパンを
落ち着く庭園
長安寺からの帰り道 国道45号線大船渡市役所下を 間寛平さんが走っていた。
「頑張れと」颯太が声かけた。寛平さん「おぉー」と返事した。
大船渡小学校南下の坂道で「暑い!」と言っていた。
被災地を励ましたいと言って走っている寛平さん ありがとう 感謝いたします。
2011年8月11日にブログ開設し、一年を経過。
見よう見まね、手探り悪戦苦闘状態での開設だった。
復興のために立ち上げたブログだが????訳わからない状態である。
大船渡も
一年五ヶ月前から比べると、瓦礫は勿論の事無くなり、道路も整備され、仮設店舗も建ち、お祭りも出来た。
これで、復興したのかな? そうではない!嵩上げ工事・防波堤・防潮堤・公営住宅・自立再建住宅は?5年後8年後なのかは解らない。
公共事業だけには 相当の金がつぎ込まれている。
オリンピック騒ぎで 政治の事 が 霞んでいる。
霞が関??
震災から生き残った たま男くんも自然体に抱かれるようになりました。
たま男くんのように 強く生きたいものです。
清水康雄64歳 たま男?歳
金メダルとったぞ!
遊び場が欲しいよ
大船渡保育園の年長で最後の「盆踊り」が雨のために園内で行われた。
いっぱい写真を撮ろうとしたが「お客さんのため退席」
颯太くんの保育園での夏祭り(盆踊り) 終わり・・・・。
見物の代表は、梅子ばぁーちゃん
ふんばろう東日本支援プロジェクトの川堀昌樹(電話窓口班リーダー)さんが訪問
カットの希望を叶えられずに申し訳なかった
大船渡中学校仮設住宅集会所での「2012/8/11納涼会」
会費一人500円
前日には、オールハンズのキャサリンが大樹君と