tea bowl blues

益子の陶芸家、太田幸博
のやきものとbluesのある日

盛岡レコードクラブ

2008-01-16 12:19:53 | Weblog
盛岡で一人暮らしをしている私の母親は時々荷物を送って来てくれる。
中は盛岡のお菓子だったり、名産の食品だったりで
幾つになっても母はありがたい。
今日も宅急便で荷物が届いた。いつも母はその中に、岩手日報という地元新聞を
入れてくれる。クッション代わりだが、息子が盛岡の記事を懐かしく見る
だろうという親心と思う。

新聞は12日土曜日付けだった。
「銀幕支えた歴史に幕 盛岡活動倶楽部 代表死去 継続困難に」という記事が
あった。代表の袰岩新吉(ほろいわ)さんが亡くなり、
40年前「盛岡映画クラブ」として発足し定期的に映画会を開いてきた「盛岡活動倶楽部」が19日に最後の上映会を開き、活動を終了するとの事だった。
私は中高校生の頃、「盛岡映画クラブ」に入っていた。
僅かな会費を払うと、市内の映画が割引で見られた。
独自に映画会も開いてくれて特に無声映画鑑賞会には何度か行った。
「戦艦ポチョムキン」や「カリガリ博士」を見た。
喫茶店もやっていてそこで「巨人ゴーレム」の上映会もやったと思う。
高校生で無声映画鑑賞会に来る人は少なかったので結構珍しがられた。
袰岩さんは同時に「レコードクラブ」というレコード店をやっていた。
高一の時、親友で一緒にバンドをやっていた小塚くんに初めて連れて行ってもらった。映画クラブとレコードクラブは同じ人がやっていると知った。
ちょうど今頃の季節、グランドファンクの2枚組ライブ盤が出て、レコードクラブからレコード盤を抱いて帰った雪道を思い出す。
ロックのフイルムコンサートも良く開いてくれた。当時映像は貴重だったし
ちゃんと解説をして見せてくれた。モノクロのサンタナやデビューしたての
ドゥービーブラザース。サンタナはギターのボリュームやトーンのツマミを
良く触る。今もギターのツマミをいじるとサンタナのあの時の映像が浮かぶ。
大学生になって帰省した時もデルマーク盤の「スリーピージョンエステス」と
「JBハットー」を買った。当時BLUESのLPを置いている店は
まだ他に盛岡には無かった。

その後、レコードクラブに行く事はなくなってしまったが
「盛岡映画クラブ レコードクラブ」には良い思い出が沢山ある。
袰岩さんという名前だった事は今日まで知らなかったが
袰岩さんは映画、音楽の両方を盛岡で支えてくれた人だった。
しかも75歳で亡くなった去年まで、ちゃんと活動をしていたなんて知らなかった
今度、盛岡へ帰ったら、お店のあった辺りにまた行ってみたいと思う。



コメント (10)
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