tea bowl blues

益子の陶芸家、太田幸博
のやきものとbluesのある日

北川とも子さんの事

2009-12-23 10:50:42 | Weblog
月曜の朝、東京の友人、山城さんから電話をもらった。
最近、結婚の引き出物を作らせてもらった娘さんの
義父母が前日から益子に滞在中との事。

亡くなった陶芸家だった友人の足跡を訪ねての旅だそうだ。
前日から益子でいろいろ尋ねてみたが、
なかなか判らないという事で私の所へ連絡が来た。

その亡くなった作家の名は「北川とも子」さんだと言う。
もちろん知っている。

もう20年近く前の事だけど、
北川さんは私の師匠、成井恒雄さんの兄、成井立歩さんの弟子だった。
恒雄さんと立歩さんの窯は隣同士だったので
お互いの弟子もほとんど同じ窯の者の様に交流していた。

北川さんは、私が独立して4年ぐらいして益子へ来た。
年は少し上で、以前東京で児童福祉のような仕事をしていたらしい。
来た当初は少し寂しげな印象の人だったけれど、
月日が経つに連れ明るい印象に変わった。
修行が終わる頃、結婚して大羽から西明寺への上り口へ
家と灯油窯を築いて独立した。

秋の陶器市の直前、一緒に共販センターで出店していた
先輩のBさんがガス窯の爆発事故で入院したので
代役に初窯を焼いたばかりの北川さんに声を掛けてみた。
彼女は快く承諾してくれて隣同士で陶器市に出店した。
彼女の初窯の作品はとても素直なロクロで清々しかった。
湯呑や飯碗の小物がほとんどだったけど評判も良く結構売れた。
よい作品だったのでこれから窯数が増すともっと売れそうだなと思った。
やきものが売れる時代だったし順調なスタートだったと思う。
初窯の記念に、ロクロの好い湯呑を一つ頂いた。

次回の春の陶器市出店も約束していたけれど
突然、年が明けた2月に亡くなってしまった。
まだ40歳位だったと思う。トラ年だと言っていたので
生きていれば来年は還暦だろうか。

北川さんの足跡を尋ねたkさんご夫妻は、
東京で同じ児童福祉の職場の親しい友人だったそうだ。
一度、益子の窯を訪れた事はあったらしいが
ずっと彼女の事が心に残っていて、子育ての終わった今、
思い立って2泊3日で益子を訪れたそうだ。

私はご夫妻とお会いして北川さんの旧宅の場所に行ってみた。
家はまだあったが今は他の方が住んでいて窯はもう無かった。

いろいろ思い出話をして
記念に彼女の初窯の湯呑をご夫妻に差し上げた。
とても喜んでいただいた。
久しぶりに見た初窯湯呑は今見てもよい出来で清々しかった。

北川さんが亡くなって20年、一度しか自分の窯を焼かなかったので
作品も少なく陶芸家としての彼女を知っている人ももうほとんどいないと思う。
私も最近は忘れていた。
それが不思議な縁で繋がって北川さんがまた蘇ってきた。

年月が経っても想ってくれる友人を持つ北川さん。
我が家に埋もれていた湯呑が今頃、人の縁を繋げてくれた。
作家は亡くなっても作品はめぐって何かの役に立つ事もあるかと想うと
陶芸家もわるくない。
コメント (4)
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