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もんく [とある南端港街の住人になった人]

マレーシアで働く危うい安心感

人間、定期的な収入があったり、長く住める家があったりすると安心する。安心してると値の張る物を買ったり、部屋のインテリアに凝ったり、もしかしたら猫を飼ったりしてしまう。(猫は引越しに向かない)

個人的にそう言う状態を作り出すと、逆にその状況からさらに安心感などをもらってしまうので、ますます安心感が増幅される。心の安定は客観的な周囲の状況が安定的であるから得られるのではなくて、自分がそんな環境を作り出す事によって得られるものだ。

つまりは、繭を編んで閉じこもる蛾みたいなものだろう。

けれども、周囲の環境が本当に安定的で安心できるものかと言うと、実際にはそうでない場合もある。そうでなくても、だいたい安心してやっている時には不安定な要素を見ない事になっている。そうした場合、ある時突然それはやってくる。

と、回りくどい言い方をしてしまっけれども、実はマレーシア最初に入って3年間いた会社がまさにそうだった。ある日、突然、日本の本社が不渡りを出して、実質的には潰れてしまった。それまでマレーシア工場の方が経営が悪くて問題だと言っていた位で、まさか本社が先にとは想像してはいなかった。

しかしながら、実際には予兆と言うのはあった。世の中のトレンドと出荷している製品ズレが出てきているのはわかっていたし、営業がなりふり構わず仕事を取ってきていてもそれで黒字が出せるコストにはならなそうだとも思っていた。簡単に言うと、出来ない仕事を出来ると言って取ってきていた。

そう言うのは簡単な足し算引き算の問題で、誰にでもわかる。けれども誰もがそれを知っていながら、根拠の無い安心感の繭の中で縮こまっていたのだった。


こうした事は、実はけっこうどこにでもあるのかも知れないな、と思う。マレーシアにある日系企業と言うのは、日本に(お金持っている)親会社があるって言うだけで安心感の幻想を抱かせるものかも知れない。けれど、普通の日本の企業はマスコミ出てくるアメリカ企業のようなのとは違うわけで、東南アジアに工場持っている位の会社は銀行が、売り先が確保されている(大きな会社の海外進出について行ったような場合)からお金を貸してくれて成立しているようなもので、"海外に打って出る"ようなのとは全然違う。ある意味、会社丸ごと安心感の中に置いてあると思っても良いようなものだ。


根拠が無くても安心感を持つのは、ある意味仕事に打ち込めるので良いかとも思う。けれど、少なくとも不測の事態もあるって事は心のどこかに覚悟しておかないといけないのじないだろうか。その安心感が幻想である可能性が大きいのだから。
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