「夜と霧」を読み進めているが、昨日言ったようにやはり編集意図と著作本文の意図が違っているとまだ感じる。
やはり、これは日本的な解釈が邪魔しているのではないかと考える。「戦争反対」的な意見は確かにまともな意見ではあるが、一種の思考停止なのだ。民主主義、自由、そういった一連の言葉はどれもそうだがラベルとして機能しているから表紙だけ見て納得して実は中まで読まない本的なものになっている。
と言いつつ、まだ最後まで読んでいないので明日も続ける。
いや、そうそう、これを読んだ人はこの本の「バビロンのラクダ商人」だけ読んでみて欲しい。これは奴隷になってしまった男がいかにその状況から脱出したかを語っているものだけれど「夜と霧」に共通するものがある。(「バビロン・・・」にはいろいろな翻訳が出ているがこの対訳版しか自分は知らない。物によっては登場人物の印象を変えているので他を読んで同じかどうかはわからない。お金テーマの本なので多少変えてしまっても成立するのが理由だと思う)