自分に何が不足しているかを知ろうとする事は年齢が高かろうが低かろうが同じように必要だと考える。ただ、その答えを見つけるのは誰にとっても至難だ。
今、ロシアとウクライナは戦争をしていて先が見えなくなっている。この前もこの事は書いたが、これに対して良心的な人が言う事は「戦争してはいけない」だ。もちろん自分もそれには賛成する。こんな事で人が死んではいけない。そしてそこから次の発想をする人の中には戦争はいけないから「ウクライナに募金してはいけない」になる。だって「そのお金が武器を買う事に使われて戦争をされに続けさせる事になる」という説を誰かが言ったから。
ふーん。
ちょっと前になるが、アメリカ大統領選挙の直後にある人達が議事堂に押し入った。フランスやイタリアではワクチン接種の半強制、ワクチンパスポートの強制に反対するデモが起きたとか。その前にもフランスでは何かが原因で多数のデモが起きた。こういう事には我々はいろいろ言うが、民衆側に立って見れば政治が民主主義を犯す事に対する反発だし、逆側なら単なる暴動だ。
ふーん。
どう思う? 我々日本人って、単純な理解しかできないとは思わないだろうか? 戦争に対して戦争反対と言うのは何がいけないか? いけなくない。でも、それが自分の考えの100%になっていてはいけないだろう。どこで間違っこうなってしまったのか、どうすれば良かったか、今からできる事は何か、そして未来の為にこの事態から何を学ぶか、いろいろある。でも、我々にはその問いに1つの答えも出す事ができない。
デモや暴動が起きた事に対して、その行動の政治的な位置付けは何か、どんな人たちが参加していて、その人たちはどう考えているか、コッチもいろいろある。でも、我々には答えが無い。
なぜなら、我々にとっては小中学校で得た知識が100%で、そこを越えられない、というより、それで良いと思ってしまっているから。戦争反対のところが100%で、そこから先が何も無い。人を傷付けたり殺してはいけないのところが100%になっている我々。という事は自分にその先の何が不足しているかがわからないし、わかろとしないという事。民主主義はあると知ってはいるが、そこのポイントが100%で、実際に行われている事のその先の意味が我々には全く想像できていない。
不足しているんだよ。本当に。小学生のところで永久に終わっているって事だ。