ある方と時々ラインでやり取りしているのだが、なぜ今の若者は子供を作らないのだろう?という話が出た。
出た時にその方(高齢)は、ご自分の若い時はこうだったという例を語られた。プライベートな内容なので詳細に書くことはしないが、短く言うと色欲(本人が使った言葉)が強くあって、あるきっかけで仲良くなった人と結婚し子供を作った。そしてそれが人間の生まれ持った本能だと感じているとのことだった。
なのになぜ今の若い人はそうでない、つまり「色欲に目覚めないのだろう」と疑問を呈したのだった。
注意しなければならないと考えたのは、若い人たちは色欲が無い状態なのかどうか?ということ。そして色欲→(途中経過)→子供と繋げて考えて良いのだろうか?という2点だ。
最初の若い人が目覚めていないかどうかは実際のところ調べられないのでよくわからない。2点目に関しては色欲の後に子供が繋がるというのは感覚としてちょっと違和感があると思った。というわけで自分の返した答え。↓
若い人が色欲が無いこともない気がしますけれど・・・実態がわからないので想像だけです。
最近、snsの上で他人に見てもらえる機会が増えましたから絵を描く人が増えていると思いますけれど、あれなど可愛い感じに描いていても根本のところはやはりポルノじゃないでしょうか?駅など公の場にまで貼られますが写真でないから言い訳ができるだけで一種の性の商品化に違いないでしょう。そう思えば色欲はかなり高いレベルにあるのかもしれませんよ。
ただ、そこまでは世の中の流れとして認められていますが、本来的な性衝動の発露をどうするかというところはあまり多くはありません。私の若い頃だって、どういう方法で色欲を消化したら良いのかを探る手立ては乏しかったです。公的な中での性教育みたいなものも無かったですし、風俗的なものも住んでいた場所が都市部でなかったのといつからかそういうもので商売し難い法律もできていて封印状態でした。
ですから性は色欲方面で封印され、結婚して子供の側と分離していたのではなかったかと思います。その間にちゃんと勉強して大学へ入って安定した仕事の方ばかり言われますからどうしても後回しは仕方ないのではないでしょうか?
途上国などでも少し豊かになって教育制度が整ってきて高度教育を受ける人が増えると結婚も子供も減るというのが統計的にわかっていると聞きます。それはいったいどういう事なのでしょうね?高いレベルの知識が得られると経済性を考えるようになって子供を制限するのか、それともレベルアップ競争で男女ともにネズミ車に乗せられるのか、仕事という他人の課題解決が頭の中の主要部分を占有すると個人の課題が後回しにされるというのも想像できます。
それにも増して、政府は人々の労働の成果からピンハネするのが主たる徴税方法ですからこのままだとさらに働くことを強いられて子供どころではないかもしれません。
そうした意味では我々の社会は実に無邪気に体系化されたやり方やその成果ばかり追い求める方向を正と考えている、というか思い込み過ぎているのではないかとも思えます。つまりお金のような簡単に計測できるものを優先してそれ以外を隠すか排除しているとこうなるという事例の一つということです。
縄文時代に日本海側では栗が大量に生産されていたそうですが、土地を切り拓いて地面の栄養分を考えずにずっとやっていると栗がとれないようになって栗産業が絶滅したとか。同じようなことが世界各地で行われて衰退したのでしょうけれど、人間は自分たち自身に対してそれをしてきたのかもしれません。
どうでしょう?
最近、snsの上で他人に見てもらえる機会が増えましたから絵を描く人が増えていると思いますけれど、あれなど可愛い感じに描いていても根本のところはやはりポルノじゃないでしょうか?駅など公の場にまで貼られますが写真でないから言い訳ができるだけで一種の性の商品化に違いないでしょう。そう思えば色欲はかなり高いレベルにあるのかもしれませんよ。
ただ、そこまでは世の中の流れとして認められていますが、本来的な性衝動の発露をどうするかというところはあまり多くはありません。私の若い頃だって、どういう方法で色欲を消化したら良いのかを探る手立ては乏しかったです。公的な中での性教育みたいなものも無かったですし、風俗的なものも住んでいた場所が都市部でなかったのといつからかそういうもので商売し難い法律もできていて封印状態でした。
ですから性は色欲方面で封印され、結婚して子供の側と分離していたのではなかったかと思います。その間にちゃんと勉強して大学へ入って安定した仕事の方ばかり言われますからどうしても後回しは仕方ないのではないでしょうか?
途上国などでも少し豊かになって教育制度が整ってきて高度教育を受ける人が増えると結婚も子供も減るというのが統計的にわかっていると聞きます。それはいったいどういう事なのでしょうね?高いレベルの知識が得られると経済性を考えるようになって子供を制限するのか、それともレベルアップ競争で男女ともにネズミ車に乗せられるのか、仕事という他人の課題解決が頭の中の主要部分を占有すると個人の課題が後回しにされるというのも想像できます。
それにも増して、政府は人々の労働の成果からピンハネするのが主たる徴税方法ですからこのままだとさらに働くことを強いられて子供どころではないかもしれません。
そうした意味では我々の社会は実に無邪気に体系化されたやり方やその成果ばかり追い求める方向を正と考えている、というか思い込み過ぎているのではないかとも思えます。つまりお金のような簡単に計測できるものを優先してそれ以外を隠すか排除しているとこうなるという事例の一つということです。
縄文時代に日本海側では栗が大量に生産されていたそうですが、土地を切り拓いて地面の栄養分を考えずにずっとやっていると栗がとれないようになって栗産業が絶滅したとか。同じようなことが世界各地で行われて衰退したのでしょうけれど、人間は自分たち自身に対してそれをしてきたのかもしれません。
どうでしょう?