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もんく [とある南端港街の住人になった人]

5 自分の銅像を建てられると嬉しいのか?

天気の良い土曜日。猫を風呂に入れた。多少の抵抗はするが、大暴れまではせず。綺麗にはなった。猫は人と暮らす歴史が長いが、いつまで経っても自分から風呂に入るようには進化しないものらしい。今後に期待する。1000年位かかるだろうか?

 

今日は中秋節だそうだ。満月だ。十五夜というやつ。月がとても大きく見える。

 

皆さん、自分の銅像が建てられると嬉しいものですか?

建てようとする人は自分がそうされると嬉しいと思うから他人にそれをしてやろうと考えるのでしょうか? 昔のエジプトの王様なんかは石像ですが、あれはどんな意味で建てようとしたのでしょうか? そういうところまで教科書には書いて無かったと思うのですが、学者さんは意味を考えているでしょうか?

北朝鮮では金初代、二代めと、それぞれが神格化されているそうなので神様の像と同じ意味を作り出しているのでしょう。それ以外だと過去の偉人とかは各地方に、亡くなってから時間が経って建てられていて、それは称えるというよりも記念碑的な感じがします。学校にある二宮金次郎はその人自体を称える意味合いよりも勉学に励みなさいみたいな意味でしょう。

まあ、いろいろありますが、どれもポジティブな意味合いか、ポジティブに見せようとする意図で建てられているのだと思います。

ちょっとニュースで見たのですが、どうも現存するある方の銅像が一部で企画されているとかで、あれなんかはどんな意味なのでしょうね? 本人は嬉しいのでしょうか?





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