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もんく [とある南端港街の住人になった人]

我々がタスクばかりやっていて楽しいことをやらない理由は・・・

昨日完成したスピーカーの牛柄だが、朝見るとちょっと気に入らないところが出てきたので修正した。しかしまあ、良い音が出ているなぁと自分でやったことながら感心している。

アルゼンチン・タンゴのピアゾラなんか最高だな。音のスペクタクルとしか言いようがない。




ところで、うちのキャサリンさん、面白いことを言う。本人にしてみればシリアスなことなのだが・・・

「自分は好きなことを何一つしていない。やらなければならないことがたくさんあってそればかりやっている」と。つまりは楽しくないと言う。
それはそうだ。好きなことをしていないで毎日の時間をタスクに捧げていれば。

それでは好きなことは何なのか、という問いへの答えは?

となると明確なものはない。これはキャサリンさんばかりではないだろう。この日本の多くの人はそれに明確に答えることはできないと考えられる。ポンっと空いた時間ができると開放感は感じるにせよ、それを好きなことで埋められる人は少ない。この社会は人に楽しみを教えることはできないでタスクを処理することばかりを教えているのだから。テレビのチャンネルのようにタスクを選べるようにはなっているが、その中に「楽しんで生きる」は入っていない。

それでは、何かやってみたらどうか?自分も知らない自分の得意なことや自分で気付かなかった自分だけの楽しみが発見できるかもしれないよ。木の根っこをノミで掘ってみるとか。

と言っても、99.9%の人はやらない。

なぜなら、そんなこと無意味だから。正確に言うと、そんなことしても無意味だと「思う」から。

我々は、その教育の成果によってある思考方法を身につけている。「ああすればこうなる」というもの。そこに物事を適用して考えると考えたことになる。動物はああすればこうというように考えないからこれは人間特有の素晴らしい思考方法だ、と皆思っている。そしてそれを多くの場面で使う。

そして木の根っこにそれを適用する。というより、してしまう。

「木の根っこを彫ったら」・・・「○○○」あれ?答えが無いぞ。つまり、木の根っこを彫っても何も出てこない。つまりそんなのは意味無いって結論だ。

やってみる前にだけど、それが結論。

やってみる前にねえ。やってみる前にだよ。つまりは予測できない、結論が出せないことはやってはいけないというのが我々の生き方になっているのだ。

芸術は成立しないし、華麗な人生もないし、冒険もない。何が残るかって?テレビのチャンネルとタスクだ。



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