もんく [とある南端港街の住人になった人]

サダム処刑は新しい時代の幕開けかそれとも、

フセインの死刑執行、住民虐殺「人道に対する罪」- YOMIURI INLINE

このニュースについてあの暗黒時代の終焉の象徴と捉える記事が多いようです。
これとは別にサダムの死を殉教と捉える人々もいるとの事。
どちらにしてもある時代が終わりまた始まると言うことなのだろう。



しかし一歩引いて見てみれば、これは繰り返しに過ぎないのではないだろうか。

誰かが勝ち、誰かが負ける。
誰かが有利になり、誰かが不利となる。
そして次の時代にはまた同じ事が繰り返される。
まるでシーソーのように言ったり来たり。
こっちに傾いたと思ったらあちらに傾く。

有利に立った方は安定良い方向に向かうと思うが、不利に立った方は復習を誓うだろう。そして何時かまた誰かが死ぬ。処刑される日が来ることだろう。


人間の歴史が始まってそんなゲームはずっと続いている。
誰かの死が別の人の死で補われ、その死がまた別の誰かの死に交換される。

そんな人の命をかけた取り引きで何時の日か正義は買えるのだろうか。
安心は買えるものなのか。


この歴史の中で人はそんな方法しか思いつかなかったのか。
だとすれば人間とは何と凶暴な動物である事か。
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