例えばLGBTとか、夫婦別姓とか、アイヌとかそう言う事。BLMは日本はあまり無いけど、話題ではある。これらに共通するのは、当事者がマイノリティと言う事。障害者関係は事故や病気の前はマジョリティであり、親がやはりマジョリティと言うのもあって話が早かったと思うけれども、前者はこそれとはちょっと違う。
でも、そうした人達がいるのは既に世界中で認知されているし、いたからと言ってマジョリティの人たちにとって脅威でも何でもない事もわかっている。けど、どうも日本の方式で政治が行われているとどうあっても認知しないままにずっと行ってしまいそうな感じがする。
日本の政治のやり方は「仲間を多く集める」そして「多数決」で決める。小学校の学級委員会で男の子チームと女の子チームで争う的な感じだ。つまり、そうやっていると永久にマイノリティ側に立っている人は彼らに配慮してはもらえない事になる。これまで夫婦は男性側の姓に変わるのが普通になっていた中で、いや私たちは別々にと言うのは、少なくとも最初のうちは少数派だし、LGBTもどう転んでもずっと少数派。
多数決で勝って少数派に配慮したやり方に変えてもらうにはかなりの数の理解者が必要になる。選挙前の政治家のようにタスキをかけてお願いして回るとか、そんな事をしないといけないと言う事になってしまう。そして徒党を組んでもらうしかない。ほとんど無理な世界だ。
よく民主主義の限界みたいな事を言う人がいるけれど、多数決が民主主義なのか?と思うわけ。いやいや、民主主義ってさ、多数派、少数派に限らず同様の権利が保証されるって事を含むわけだから、多数決で少数派の言う事は聞かないよ、と言うのは違うだろ。つまり多数決は民主主義とは関係ないよね。
ずっと当たり前に使われて来たLadies and Gentlemenが、ちょっと違うんじゃないかなと感じるいくらかの人達への配慮と言う事なわけだけど、それと同じ事をしようよって単に話し合えば済む事なんだと思う。なので今の状態、民主主義の限界どころか、民主主義の端っこにも達していないからここで留まっていると感じている。
首相になるほどの人がまともに受け応えしようとしないとか、原稿読まなきゃ何も言えないとか、つまりはそこで議論しようとすら思って出てきてないと言うのだから、民主主義どころの話じゃないよな。議論しようと思えばそれには訓練が必要だろうし、何言われてもちゃんと答えようとすればそれなりに勉強したり練ったりしないといけないはず。だってそれが民主主義の基礎要件なのだし。
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