今朝は5時半頃に早起きした。
理由は朝6時から販売開始のお弁当を買うためだ。近所の有名飲食店のおやじさんがある事情から1年前に朝弁当を止めた。そして今日、そのお孫さんが同じく日曜日の朝弁当を始めた記念すべき第1回目なのだ。
なんとまあ、ボリュームのある弁当。写真では見えないが漬けマグロの下に大根のツマと香りの良い海苔が敷いてある。ご飯の炊き方も柔らか過ぎず硬すぎずタレをかけてもちょうど良い具合。焼き物はマグロの血合(茜身という)の漬け焼きだ。素晴らしい。
さて、こちらはいただいた物。同飲食店の賄いのお裾分けの三色丼こちらはおやじさん作。マグロのラー油ソボロ、酢キャベツ、野菜炒め、卵の胡麻油そぼろ。こう見えてとても手が混んでいて、普通じゃない。たぶんいつも賄いで実験的な試みをしているのだと考えられる。(いつも、と言うのは時々いただいている中でそう感じるから)
沢庵もまた別の方からのいただき物。特に何の調味料も使っていない自家製なので昔懐かしい味がする。
「旅の重さ」やっと読み始められた。前の本の余韻を振り払うのにちょっと時間がかかってしまった。ゆっくり読もう。
朝の9時ちょっと前に、ドシンという音がした。何が起きたのかはすぐに想像ができた。車がどこかにぶつかったのだ。
カーテンを開けて窓から見ると隣家の車が駐車場から出ようとして動いている。車は何事も無かったかのようにバックし、すぐに止まって前進で向きを変えて駐車場出口のスロープを降りていった。何事かがあったにも関わらず。
車の停車していた場所の前にある低いブロック塀とそこにある1メートルほどの段差に設置されたコンクリート土台が数センチ道の側に迫り出してしまっていた。車のあった場所には外れた小さなプラスチックの部品が転がっている。そのまま車を出してしまったのは逃げたわけではなくて乗っている二人ともにある心の病を抱えているためだ。しばらくして車は戻ったが外れた部品にも迫り出した塀にも関心を持てなかったようで家に入って行ってしまった。
たまにニュースになる車の前後に家族がいて轢かれてしまうあのパターンだ。まあ、世の中にはそういうこともある。
さて、そこで問題になるのは車の二人・・・ではない。うちのキャサリンさんの方だ。今に今始まったことではないが気になって仕方ない。仕方ないので明日の朝にその二人をいくらか面倒見ていると思われる社会福祉協議会に行ってそろそろ車の運転が困難になっていると報告に行くことにした。これはキャサリンさんの何にもなりはしないだろうけれども。
キャサリンさんのように他人のことが気になって仕方ない人は山ほどいる。特にキャサリンさんだけではない。snsを見ているとほとんど全員そうじゃないかと思えるほどだ。自分の知らない事に対してすら口を突っ込んで批判するのはポピュラーだ。しかも知らないくせに自分が正しいと考えていたりする。こうした言葉の応酬がsnsを形作っていると言っても過言ではない。
その基にあるのは人々が受け身で生きているからだ。学校ではいくらよく考えても正解は先生が握っているのだし、法律は自分で決めたのでなくて既に決められてそこにあるもの。楽しい雰囲気になりたければ話題のレストランへ行って話題のメニューを食べるとかなんとかランドへ行ってはしゃいで写真を撮り、家ではテレビを観て笑ったり大袈裟な言い方で捲し立てる司会者の言うことにウンウンと頷く。
どうあっても全て受け身の姿勢で生きていることが歓迎されている。
そんな社会の中では自分自身の希望や感情の高まりさえも全て他者依存で行われる。そしてそれに慣れ切ってしまう。それに違和感を感じて自分探しをしてしまうのならまだマシなのだろうが、多くの人はそこまで達することはない。最後には自分のご機嫌とりすら他者にお任せでしかできなくなってしまう。
キャサリンさんの姉のアグリッピナは強くそういう人だった。(過去形なのは死んだからでなくてたぶんもう一生会わないから)学校の成績は良かったそうだが、それは他者が握っている正解に達するゲームが上手かったということだろうし、周囲にいちいちトゲトゲしていたのも自分の感情を他人に依存していたからだ。
でも、そういう状態に人がなってしまうことに対してその本人を責めることはできないだろう。なぜなら、この社会ではそれが普通だから。(自分で気付くことができないなら) そんな人ばかりということはそれは社会問題なのだ。個人の問題だけとは言えない。
しかしながら、自分のご機嫌を他人に依存しなければならないとは、とんだ社会性を育む世の中だな。でも、そんなことしていると自分が自分の脳みそをコントロールできないって、自分にとって損失以外の何ものでもないだろうに。人の幸せって自分を自在に操れ初めて実現するはずだから。
まあ、でも、この社会はそうした自己放棄を推奨する社会なのだからどうにも仕方ないのだ。お金があればなんとかランド、無ければテレビを観るしかない。