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もんく [とある南端港街の住人になった人]

誰も何も失敗しないマレーシアの1日

昨日の写真、道端のご飯屋台で頼んだら出てきたそのままの写真だったのだけど、
写真のために色付けたり写真を加工したと思った人は何人位いるんだろう?

あの写真の写ってない横1m位先があまり良いところとも言えない郊外の住宅地を貫く
ホコリだらけのどうでも良い道路だなんて、想像できた人もいないかもしれないなあ。



ところで、話は変わるけれど、マレーシア国民ほど失敗を恐れる国民と言うのは
この世に存在するのだろうか?

失敗を恐る加減は日本人的に見てほとんど異常とも言えるほど。
ここ何年かマレーシアで仕事をしているけれども、
自分のした仕事の結果、失敗してしまったと言う人を見たことがない。

実際には失敗はある。
当然全部成功なんてのは物理的にあり得ないから。
でも、失敗したその原因を自分のした事の結果と認識する人間は皆無だ。

失敗について原因を言わせると、必ずそれは自分以外の何かと言う。
誰も反論できないような物理的な事、自然の摂理、誰それがいない、システムが…
と、言えば言うほど自分自身から遠ざかって行く。
終いには自分も被害者であるかのようになる。


失敗しないためにする事と言えば、
失敗しそうな事、自信のない事は何もしない。
言われても、言った本人が忘れるまで待っている。


想像するに、学校で問題の回答ができなかった時にこっ酷く怒られるとか、
雑貨屋で売っているラタンムチで先生に叩かれるとか、そう言う事が普通に行われているのだろうか?
(想像だけ)

日本人もある意味似たところがあって、失敗を恐れる、リスクを背負うのを嫌って
安定を望む。その結果としてかなりの不自由に耐えていると思う。
が、その日本人から見てもマレーシア異常じゃないだろうか?


逆に自分が問題を出す立場になった時にはかなり他人に対して厳しい。
出している方がわからなくても、命令だけはする。
命令した結果はだいたいダメだけれど、命令者は命令された方に厳しい。
自分がきちんと伝えられなかった事や指導していない事には何とも思わない。

結局命令した方もされた方も結果を得る事ができないで終わる。
けっこう不毛だ。

そうしたわけで、今日も誰も何も失敗しない。
きっと明日も…
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