
もうマレーシアはちょっと前のあの東南アジアではないし、あの時のままでいろとは思わないが、ある時価値を持っていたものにもう自ら何の価値も見出せなくなって、簡単に言うと興味を失ってしまっている。そしてこうして残るのは灰のような残滓。ま、灰でも吹き飛ばされず残っていればマシとも言えるけれど。

木彫りをやっている光景にまず違和感を覚えたのは、彼は下描きの紙を平らな板に貼り付けてから彫っっている事。以前ならこれはやらないだろう。鉛筆で木に描く事は無いとは言えないがこれはしない。紙を貼るのは1つには量産する方法として、もう1つは紙を貼れる平板が前提になっているためだ。
紙を貼れる板に型紙を貼るのであれば、別に手彫りする必要なんて、この現代においては無い。同じ事がCNCで出来る。手彫りを模した造形だって自動で機械は作り出すぼは簡単だ。しかも人がやるほど時間もかからない。

そして出来た物はどうかと言うとこの写真。
量産性のありそうな平板造りの家具に人の彫った物を貼り付けている。これで何となく伝統工芸的匂いを感じさせるようにしているが、これではこの造形に飽きられたら終わり。実際マレーシアでは皆IKEAで家具を調達するのが普通になっていてそこには色々な目新しい世界中のどこの誰にも好まれそうな物が売られている。世界中の中にもちろんマレーシアも含まれる。
IKEAじゃない伝統的な造形を求める趣味人もいるとは思う。が、そう言う人達はこんな中途半端な物は買わず、ちゃんとインドネシアから家具を輸入して買うだろう。

ハンディクラフトの中で実は最も注目しておきたかったのはBatikなのだけれど、こちらももうはっきり言ってお遊び程度。

実はもっとちゃんとやっている人もいるのだけれど、なぜか公立センターでは手法だけ教えて終わりにしているのかもしれない。作品を見ていて非常に残念。

ラタンは木彫りと違って構造もデザインできるので期待が持てるのだけれど、感覚としては特にラタンである必要もなく、プラスチックや金属でもできる造形デザインしかしていなかった。作っている人がもうそう言う世代なのだろうし、そんな深くまでデザイン自体を教える学校では無いのだろう。

デザインアイデアのスケッチがパネルになっていた。ほとんどのスケッチがグラフィカルなものとして行われていて、出来た物とリンクしている。現代的といえばまさにそう。伝統工芸を単に1つの材料として捉えている証拠みたいなもので、そうなると伝統工芸を活かせるかは非常に微妙だろう。もちろん、活かせる人もいるかもしれないが、普通の感覚としては??? 手法だけ学んでそれをグラフィカルな処理で現代の生産物に適用するとしたらなかなかできる人は少ないのかな、と思う。
マレーシアでも日本の飛騨の伝統家具を現代の趣味に合わせて新しい意味を持たせた家具を売っていたりする。あんな感じにできる人が出てくると良いなと思うけれど、現時点ではマレーシア全体としてIKEAなのでほぼ絶滅と言えるかもしれない。時代を経て再解釈されるまで待つしか無いだろうか? それまでマレーシア政府がハンディクラフトの学校を続けてくれると良いが。
