こうしたニュースは時々聞くことがある。遠目に見ていれば、そうかそんな地域があってがんばっているのかと感じる。が、良く知っているあの街での事と思うとなぜか大きな違和感を感じざるを得ないのが本音だ。
"街おこし"をせねばならないほど寂れてしまっているのは知っていた。自分の仕事を持って以来あの街にいた期間は長くないが両親を訪れる度に街を歩く人は少なくなり、見知った風景は枯れていく。商店街はシャッターストリートになっていた。そうなれば"街おこし、確かにな"、と思わないでもないが、逆にそんな事をしたい人間があの街にまだ残っていたと思うと不思議でならないのだ。
残っていたのであればこの寂れようはもう20年前にわかっていたはず。我が同級生も多くは街を去ったと思う。ショッピングの中心は郊外の大型店舗に移り、狭い土地ながらも中心産業であった農業は廃れた。それにともなって農協は農業支援のために仕事をすることからアパート経営を後押しする金貸しになってしまった。街には下らない薄っぺらなアパートが乱立して街全体が石膏ボード色になった。
東京からほど近い場所とは言え、歴史の教科書に載るほどでも無いとは言え確かにそれなりの時間の積み重ねは存在していたはずの街だった。が、その事を街の誰もが大切には考えていなかったのは確かだ。だからこそああなってしまったのだと思う。もうきっとダメなんだろうな、と行く度に思った。東京へ通勤するためのベッドタウンの端っこである以外に何も無いのだろうと。
そこへ来て芸術?、アート?、街おこし? さて一体全体どこをどう振れば芸術やらアートやらが出てくるのだろうか。そんな思いが心の片隅にでもある人間が住んでいたとしたらあの石膏ボード色の白茶けた街並みは一体何なのだろう? あれらと芸術をどうやったら結び付けられるのだろうか?
さて、残念ながらそれを確かめるために自分であの街を訪れて見る機会は当分ありそうにない。もっともその気があれば機会を作れなくもないかも知れないが心の中ではそれを拒否する思いの方が今のところ強い。やりたきゃ勝手にやってくれ、と。芸術やらアートやらを特別視して持ち上げる前に自分の家のブロック塀やら壁やらをどうにかしろ、と。
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