国際・国内政治経済とその文化を神道国学で読んで・・

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国が滅んだことで成長し、政治家が育って改革が進んだ国って、どこの国の話?

2014-04-14 18:50:56 | 政治経済と憲法九条
英国、仏国、伊国、米国、西国、独国、蘭国、、、、
>国が滅んだことで成長し、政治家が育って改革が進んだ国って、どこの国の話?
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急激に政治家が成長したのは日本国「池田内閣」所得倍増論でしょうかね。
中国は外道の一国一党の悪党国家と韓国は日本国の援助で経済の発展を遂げていますが、政治に於いては「古典帝国主義」思想をそのまま導入して、南太平洋を侵奪しています。

これも、改革が「毛沢東」が進んだ国でしょうが、あまりにも「耐荷があり、民社主義国家に対する改革は有りません。
支那の「義」十二支易学国家をそのまま継承して、投稿と言う情報機関により、支那の国家利益を追求の正義の追及のしすぎでしようね。
 その逆輪廻は、米国の情報部の退化ですよ。全く「従軍慰安婦」の是非も情報収集ができていませんね。
 日本人が、従軍慰安婦にかんして、韓国には捏造偽造であると言う国民的な情報の収集は出来ていない。
 在日「CIA」の情報を信じ切っています。これも改革でしょうね。変革ですかね。

国が滅んだ・終戦の敗戦・が、日本文化の滅亡でしょう。「すりあわせ」ができませんね。

政治家が育って改革が進んだ国って、どこの国の話・それは民主主義国家の成果が有った「日本国」と国民の努力ですね。
 現在の日本人は終戦の時代の生きる根性を見失っているのでしょう。改革が進み、耐荷したのは日本国でしょう。あまりにも民主主義では、意見と対応が複雑で、国家としての統一「精神的」な意思の統率が、総選挙が示す通りと思います。
 民主主義には対決と冷戦が国際社会の思想的な常識に観えてたまりませんよ。

その改革による国の発展は、原爆に対する鬼畜米英と言う敵討ちの精神を、原爆反対の平和運動により、原爆投下の米国を恨まずに、原爆反対と言う平和活動により、両国の発展と原爆の禁止を実現しようとした日本人、特に廣島、長崎の平和運動は、韓国が「従軍慰安婦」と言う損害賠償請求と謝罪を求める憎しみの政経の反日政治活動をすることなく、米国との和合を求める器量の大きさが日本国の文化を象徴している。

「義」による すりあわせ が出来ない韓国の「蛮国」とは大きな違いの「義」が日本国に健全に存在し要る事実を忘れてはならないと思う。


大日本帝国憲法第55条の天皇和平論。

2014-04-14 15:34:29 | 政治経済と憲法九条
大日本帝国憲法第55条
原文
国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス 
大日本帝国憲法第55条
原文
国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス

•憲法
•国務大臣
•天皇
•輔弼 

おぎない【補い】 おぎなうこと。おぎなうもの。埋め合わせ。「休んだ仕事の―をつける」

ひつ【弼】 1 律令制で、弾正台(だんじょうだい)の次官(すけ)。大・少各1名。 2 奈良時代、紫微中台(しびちゅうだい)の次官。ひつ【弼】 [音]ヒツ(漢) [訓]すけ 付き添って助け正す。補佐する人。「匡弼(きょうひつ)・輔弼・良弼」 [名のり]すけ・たかし・たすく・ただし・たね・のり 
甲骨龜甲因書では「すけ ハ たかし ヲ たすく ヲ ただし のり「法」二 シタガウ。

この甲骨龜甲因書は、現在の日本国学者は「解読」していない。従って「輔弼」の単語の意味が辞書に有りません。
しかし、甲骨龜甲因書の解読では完全に解読されるのです。

大日本帝国憲法以前にも「輔弼」という概念は存在した。1871年の太政官制度の改革により三院制が導入され、このうち最高機関である正院においては、天皇の臨御の下、太政大臣、納言(左右大臣)、参議の三職がおかれることになる。三職のうち、天皇を「輔弼」することができるのは前二者のみであり、参議は前二者を「補佐」することしかできないとされ、天皇との距離が明確に区別されていた。 
 其の区別とは「

「すけ ハ たかし ヲ たすく ヲ ただし のり「法」二 シタガウ。
この法とは、三種の神器の「巻物一巻」に修められています。その「法」を読めなくしたのが「参議岩倉具視」である。更に追い打ちした「藤井徳佐衛門」の「ヤクザ戸乙」の辭氣が有ります。
 その「法」が「すけ ハ たかし ヲ たすく ヲ ただし のり「法」二 シタガウ。

天皇に「シタガウ」とは「従う」のでは有りません。
シ「乙ト乙 ハ 別分一心 ノ 乙 冂ケイガシラ 断ち切る別分 ノ 乙ト乙 ハ 乙 小さなⅠ体一心 ハ 大いなる 別分 二 シタガウ。
即ち「乙・精魂」ハ 別分一心(天皇属) ノ 精魂の精神的ナ形 ヲ 断ち切る 精魂と精魂 ハ 精魂 小さなⅠ体一心 ハ 大いなる別分(天皇属) 二 シタガウ。
 甲骨龜甲因書の解読である。即ち終戦の天皇「玉音」放送。一糸乱れず終戦を迎える。これは「世界史」で唯一の「終戦」宣言である。「勅旨」である。

日本語の本来の国学・古典国学を「岩倉具視」が破壊した処から、日本国の文化の滅亡が有る。そして「原爆」て決定的な終戦である。
  諸君・改めて日本文化を考察して下さい。

天皇史記を御伝えしたいと思います。

2014-04-09 10:16:20 | 政治経済と憲法九条
天皇史記を御伝えしたいと思います。
矢の介さん。
バカボンの天皇史記を御伝えしたいと思いますが、不機嫌に為られると思うと…
少々、躊躇チュウチョ・しますね。

しかし、大事な事ですから、御信じには為られないかと思いますが、思い切って文書に致します。
それは「神武天皇」狭野神日本磐余彦(前660即位)は神祇官の記録には存在しないのです。
その理由は、明治7年に「上卿神主祝師」が岩倉具視に因って廃止されました。即ち「神祇官」の記録を廃棄したのです。理由は簡単です。岩倉具視は朝廷で「左大臣」の職権は無かったのです。それを如何にも「左大臣」としてふるまって朝廷語部制度を根底から破壊したのです。
 さらに、この行為で「平田学派神道」に対して、天皇の歴史的経緯を真実であるかのように捏造してしまったのです。その理由も簡単です。
 世界に対して、我が国の歴史は支那より古い、として起源2600年。それをむ主張する為に岩倉具視と藤井徳佐衛門が捏造した天皇属史記と為したのです。
長江中流域の屈家嶺文化(紀元前3000年 - 紀元前2500年)・下流域の良渚文化(紀元前3300年 - 紀元前2200年)の時代を最盛期として、後は衰退し、中流域では黄河流域の二里頭文化(紀元前2100年頃 - 紀元前1500年頃)が移植されている。

 その理由も簡単です。それは第二次長州征伐で、「安芸国佐伯庄毛保一条邸」神祇官古文書を略奪廃棄した、と 思っていたら、最近に為って続々と其の資料が見つかりつつあるのです。
 しかし、その文書は古典国学「神道国学」甲骨龜甲因書で著書編纂されているので、現在の日本国学者は全く読め生くなっているのです。但し、福沢諭吉は咸臨丸の木村摂津守から一部を伝授され、古典学者と談義したいとの文が有ったのですが、第二次長州征伐で、安芸国佐伯庄毛保一条邸の神祇官古文書が藤井徳佐衛門の手に渡り、平田学派の「水戸藩」の捏造史記に成って要ったのです。それが狭野神日本磐余彦(前660即位)です。
 では、真実の天皇とは「紀元前1600年」支那「夏時代」のニ里頭宮城で、既に「天之御中主神」が祭祀されていた。この神は常に「天上」にあり、天孫降臨されないままに、現在の天皇が「東宮」で祭っています。大嘗祭の神は「天之御中主神」であります。
 神祇官の天皇は神代の神々から「応神」された「応神天皇」がも、甲骨龜甲因書の解読による第1代の「応神天皇属」であります。
 それを考古学的に検証される目のが、豪族の「陵」であります。即ち古墳陵であります。其の古墳の名前を甲骨龜甲因書で解読すると、「丸山古墳」が日本国の最後の古墳で有ります。この丸山古墳の後から「神社」創建に成って行くのです。
 日本国の歴史は、支那中国より古代につながります。その場所は「中東」方面区域で有ります。その証は、中東付近から「甲骨龜甲因書」の原型が見つかっています。但し、甲骨龜甲因書の発見方法が未熟なために、考古学者が見落としています。例題としては「イスラエル」に日本語とよく似た文字、日本国ではカナ文字が見つかっています。
 先に古典国学者が述べたとおりに、日本国の歴史は支那文化の発揚が甲骨龜甲因書から始まっています。
 現在、これらを論文として編纂していますが、長文に為りますから、筆を止めます。
矢の介さん・御気に障ったら御免なさいね。

              著書編纂 古典国学者


一般用語で解読する。神道教義として、 外道と内道

2014-03-09 19:52:28 | 政治経済と憲法九条
 一般用語で解読する。神道教義として、 外道と内道

ちょっと、「内道外道」と言うと奇異に感じられると思う。
 しかし、この外道と内道は、古典国学「神道国学二列二連伏字の法則」から引き出された「辭氣」である。

即ち、外道の一連と、内道の一連がある。この思考方法は歴史的な「源平」合戦の格言みたいに言われている。
 その格言的な「源平」は、実は古典国学から引用された単語である。その一連の流れに、源氏の系図、平家の卦図として継承されてきた。
 そして、家柄が立派と言う家柄が、源氏の性を継ぐ源頼朝・鎌倉将軍である。そして、平家は家柄は平民的に成っているが、経卦一門として、現在でも日本国の歴史として継承されている。
 この辭氣を二列と言う。そして、その系図の継承が「一連」の源氏系図に成っている。
処が、それに対して、平家の系図をむ継承する「一連」の平家系図の流れが有る。即ち、二連である。その源氏と平家の「二列」が世の進歩を促している。日本国の文化の振興は其の「二列二連」の関係で日本国は振興されていると検考ができる。ある人は「歴史の観察」とし観る人もある。

 しかし、現代社会において、あらゆる掲示板から情報を観察すると、どこの掲示板を観ても、社会的には騒然としているのである。源平合戦で言う「烏合の衆」の集団的な掲示板投稿記事であると言える。

 即ち、掲示板は情報の収集の場所ではないと言う事に成る。処が、情報の収集をするには適していると辭氣に遭遇するのである。
 その辭氣を分析すると、そこに「外道と内道」と言う辭氣が見いだせるのである。それを特に、外交問題に阿多はめると、実に面白い外交の恥部が観えて、外交の極点情報を得ることが可能になるのである。
 
 ここから先は、其の実証記録として情報を収集して分析する面白さが遺されてゆくと思う。

そこに、ヤスクニ神社と「従軍慰安婦」の諸問題の社会的分析の面白さが遺されている。

 そこで、面白いのは、神道に「外宮」「内宮」がある。本文の「表題」に「外道と内道」がある。この文字をよく見ると「外宮」「内宮」」がある。此れを甲骨龜甲因書で解読すると、双方ともに其の辭氣は一体に為る。
即ち、甲骨龜甲因書の神道教義の「一心Ⅰ体」の辭氣に成る。即ち、外道内道と外宮内宮は、辭氣に於いて、
「一心Ⅰ体」である。
 この神道の教義は、何を示して要るのか、と言う事に誘導される。それは「大鳥居」は「闕」の辭氣である。聖地と娑婆の堺である。即ち、内宮と外宮の堺には鳥居の「闕」があるのである。

 これは実に面白い。即ち、対人関係の交際の極意とも言える「辭氣」である。対人関係の対話に用いられるのである。相手の主張に対して、外道と想定し、その対応は内道の返答になる。神道の場合は、相手の主張に対して、内道を想定して答える。想定を外すと「内道」の辭氣が「氣」が伝わる。

 この対話は、微妙な外交手腕に成る。その一例を示す。
第二回は、『日本書紀』に記載されており、607年(推古15年)に小野妹子が大唐国に国書を持って派遣されたと記されている。
倭王から隋皇帝煬帝に宛てた国書が、『隋書』「東夷傳俀國傳」に「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)と書き出されていた。これを見た煬帝は立腹し、外交担当官である鴻臚卿(こうろけい)に「蕃夷の書に無礼あらば、また以て聞するなかれ」(無礼な蕃夷の書は、今後自分に見せるな)と命じたという。 
この文書を甲骨龜甲因書で解読すると、・・・・・・・・

「日は、冂ケイガシラ 二心に封じる処の天子、「天皇」勅旨書 冂ケイガシラ 二心に封じる処の天子に致す」
漢字で読むと、「日本国の形と隋国は互いの天子に致す」この「勅旨」は勅旨書ではなく、朝廷語部制度の語りである。現在でも、勅旨は「摂政」の執事書である。天皇辭氣筆はない。

 即ち、史記にはないが、古典国学は解読する「日本国の形と隋国は互いの天子に致す」 と語ったのである。何故に断定するか、現在でも朝廷語部制度は「隋国王」にたいして「語部」を申したのである。

 このように「日本国の形・隋国は互いの天子」に致すとは、以後の遣唐使は「天子」と「天子」を以って遣唐使と致します。と語っているのである。従って、恐れおく申し出たのではない。対等の外交に成っている。

それを「外宮」「内宮」神道教義甲骨龜甲因書は「外道」「内道」の辭氣としての学問・古典国学に成っている。
 神道教義の「祝詞」は、かしこみ、かしこみ、申す。「恐しこみ恐しこみ申す」原文は「恐美恐美母白須」である。原文は古典国学甲骨龜甲因書で解読しなければ無理である。

 即ち、支那の「帝王」は、民と家臣は、帝王にたいして「恐れ申す」のである。
 処が、日本国の場合は「天之御中主神」に対して「恐美恐美母白須」のである。
 現代語「恐しこみ恐しこみ申す」のである。即ち「尊敬尊宗」の辭氣で顕される。
ここに現在の「中国は外道の一国一党の悪党国家」と「日本国戦略的」外交のもつれが有るのである。

 恐れ恐れ・中国は外道の一国一党の悪党国家帝王に申し上げます。
日本国では「かしこみ、かしこみ、申す」のである。恐しこみ恐しこみ申す。

古来から支那の文化と、日本国の文化は、相反して要るのである。これを「外道」「内道」の外交の「戦略的」と言う。従って「互恵」関係の辭氣は完全に無いのである。常に中国は外道の一国一党の悪党国家とは、戦略的な辭氣から逃げては通れないのである。

               古典国学者

http://nanaura77.take-uma.net/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E7%A5%9E%E9%81%93%E6%95%99%E7%BE%A9%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%80%81%E5%A4%96%E9%81%93%E3%81%A8%E5%86%85%E9%81%93%E3%80%80-%E5%86%85%E5%AE%AE%E3%83%BB%E5%A4%96%E5%AE%AE-


神道教義として、 外道と内道 靖国神社の問題解決は、ここにもある。

2014-03-09 10:13:39 | 政治経済と憲法九条
 神道教義として、 外道と内道

ちょっと、「内道外道」と言うと奇異に感じられると思う。
 しかし、この外道と内道は、古典国学「神道国学二列二連伏字の法則」から引き出された「辭氣」である。

即ち、外道の一連と、内道の一連がある。この思考方法は歴史的な「源平」合戦の格言みたいに言われている。
 その格言的な「源平」は、実は古典国学から引用された単語である。その一連の流れに、源氏の系図、平家の卦図として継承されてきた。
 そして、家柄が立派と言う家柄が、源氏の性を継ぐ源頼朝・鎌倉将軍である。そして、平家は家柄は平民的に成っているが、経卦一門として、現在でも日本国の歴史として継承されている。
 この辭氣を二列と言う。そして、その系図の継承が「一連」の源氏系図に成っている。
処が、それに対して、平家の系図をむ継承する「一連」の平家系図の流れが有る。即ち、二連である。その源氏と平家の「二列」が世の進歩を促している。日本国の文化の振興は其の「二列二連」の関係で日本国は振興されていると検考ができる。ある人は「歴史の観察」とし観る人もある。

 しかし、現代社会において、あらゆる掲示板から情報を観察すると、どこの掲示板を観ても、社会的には騒然としているのである。源平合戦で言う「烏合の衆」の集団的な掲示板投稿記事であると言える。

 即ち、掲示板は情報の収集の場所ではないと言う事に成る。処が、情報の収集をするには適していると辭氣に遭遇するのである。
 その辭氣を分析すると、そこに「外道と内道」と言う辭氣が見いだせるのである。それを特に、外交問題に阿多はめると、実に面白い外交の恥部が観えて、外交の極点情報を得ることが可能になるのである。
 
 ここから先は、其の実証記録として情報を収集して分析する面白さが遺されてゆくと思う。

そこに、ヤスクニ神社と「従軍慰安婦」の諸問題の社会的分析の面白さが遺されている。

 そこで、面白いのは、神道に「外宮」「内宮」がある。本文の「表題」に「外道と内道」がある。この文字をよく見ると「外宮」「内宮」」がある。此れを甲骨龜甲因書で解読すると、双方ともに其の辭氣は一体に為る。
即ち、甲骨龜甲因書の神道教義の「一心Ⅰ体」の辭氣に成る。即ち、外道内道と外宮内宮は、辭氣に於いて、
「一心Ⅰ体」である。
 この神道の教義は、何を示して要るのか、と言う事に誘導される。それは「大鳥居」は「闕」の辭氣である。聖地と娑婆の堺である。即ち、内宮と外宮の堺には鳥居の「闕」があるのである。

 これは実に面白い。即ち、対人関係の交際の極意とも言える「辭氣」である。対人関係の対話に用いられるのである。相手の主張に対して、外道と想定し、その対応は内道の返答になる。神道の場合は、相手の主張に対して、内道を想定して答える。想定を外すと「内道」の辭氣が「氣」が伝わる。

 この対話は、微妙な外交手腕に成る。その一例を示す。
第二回は、『日本書紀』に記載されており、607年(推古15年)に小野妹子が大唐国に国書を持って派遣されたと記されている。
倭王から隋皇帝煬帝に宛てた国書が、『隋書』「東夷傳俀國傳」に「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)と書き出されていた。これを見た煬帝は立腹し、外交担当官である鴻臚卿(こうろけい)に「蕃夷の書に無礼あらば、また以て聞するなかれ」(無礼な蕃夷の書は、今後自分に見せるな)と命じたという。 
この文書を甲骨龜甲因書で解読すると、・・・・・・・・
「日は、冂ケイガシラ 二心に封じる処の天子、「天皇」勅旨書 冂ケイガシラ 二心に封じる処の天子に致す」
漢字で読むと、「日本国の形と隋国は互いの天子に致す」この「勅旨」は勅旨書ではなく、朝廷語部制度の語りである。現在でも、勅旨は「摂政」の執事書である。天皇辭氣筆はない。
 即ち、史記にはないが、「日本国の形と隋国は互いの天子に致す」 と語ったのである。何故に断定するか、現在でも朝廷語部制度は「隋国王」にたいして「語部」を申したのである。
 このように「日本国の形・隋国は互いの天子」に致すとは、以後の遣唐使は「天子」と「天子」を以って遣唐使と致します。と語っているのである。従って、恐れおく申し出たのではない。対等の外交に成っている。
それを「外宮」「内宮」神道教義甲骨龜甲因書は「外道」「内道」の辭氣としての学問・古典国学に成っている。
 神道教義の「祝詞」は、かしこみ、かしこみ、申す。「恐しこみ恐しこみ申す」原文は「恐美恐美母白須」である。原文は古典国学甲骨龜甲因書で解読しなければ無理である。
 即ち、支那の「帝王」は、民と家臣は、帝王にたいして「恐れ申す」のである。
 処が、日本国の場合は「天之御中主神」に対して「恐美恐美母白須」のである。
 現代語「恐しこみ恐しこみ申す」のである。即ち「尊敬尊宗」の辭氣で顕される。
ここに現在の「中国は外道の一国一党の悪党国家」と「日本国戦略的」外交のもつれが有るのである。

 恐れ恐れ・中国は外道の一国一党の悪党国家帝王に申し上げます。
日本国では「かしこみ、かしこみ、申す」のである。恐しこみ恐しこみ申す。

古来から支那の文化と、日本国の文化は、相反して要るのである。これを「外道」「内道」の外交の「戦略的」と言う。従って「互恵」関係の辭氣は完全に無いのである。常に中国は外道の一国一党の悪党国家とは、戦略的な辭氣から逃げては通れないのである。


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