平光 真彌(真弥)

長久手市を中心に活動するヴァイオリン弾き、平光真彌(真弥)
演奏活動の告知など

弦と球

2013年10月28日 11時41分03秒 | Weblog
楽器の状態って、気にしだすときりのないものです。
どういう楽器を使うか(使えるか)という根本的なことから、それをどう使っていくか。
極端なことを言えば、どんな楽器でも音は出るし弾けるは弾けるんです。
それを、曲種や編成など込みで自分の理想とする音と比べて、それに近づけるべくいろいろカスタマイズする・・・というのが、本来の形。

ところが実際は、たとえば発音のスピードひとつとっても、道具に技術や音楽を規定されてしまうことが少なくないと思います。
その楽器の足りないことを(たとえば発音が鈍い)無意識に補って、本来は不必要なはずの技術(弦のひっかけを強くする)を身に付けてしまい、結果違うところに支障が出る(どたばたと不器用な演奏になる)。
たぶん、分数楽器の頃から同じようなことを繰り返してるし(調整がいいかげんなものが多いから・・)、
フルサイズになってからは基本的には一本の楽器と付き合い続けるから、その楽器に強制された悪癖は、頑固にこびりついているでしょう。

本当なら、演奏者自身がその自覚を持ってなきゃいけないことだけど、難しい。
だから、楽器のプロにそっち側から見てもらって、自分が道具に音楽を狭くされてないか見直すことが、たまに必要になってくるのだと思います。
自分である程度できるようになるのが一番いいので、「ベター」というくらいの話だけど、職人さんと演奏者はそれくらい協力してもいいものなんだろうな、と思います。
あと、「楽器は先生に見立ててもらいなさい」というのもそこなんでしょうね。

さて、楽器やさんのアドヴァイスで、弦の種類を変えてみました。
今まで楽器に強制されてた技術に気付いたり、気づかなかった欠点が聴こえてくるようになりました。
闇雲な状態よりもよっぽどマシなんだけど、その課題を抱えながら演奏するのはストレスが溜まる・・・
そして、変えた直後は弦の太さと手の馴染みの感覚が違い、その所為で音程をとる感覚が変わり、なにより発音のアクションから実際に音が出るまでの時間が違い、すごく「いたしい」感じ(広島弁かなぁ)がしました。
慣れるのに3週間ほどかかったかな。
「慣れる」というのは所詮道具に人間が添いやすくなった、ということなのですが。

で、なにが言いたいかというと・・
専門にやっている人と道具の関係なんて、それほど繊細なもの(弦の太さなんて0.1~0.2㎜くらいの話ですもんね)なのに、ころころと使用球を変える、ましてや黙って変えるとか、あり得ない!!! と思ってる訳です。
それだけ重要な事・・とくに野球選手にとっては成績→年棒→人生を左右する大きいことだ、という自覚・想像力が、欠けてるんだろうなぁ。
「(球を)分からない程度に変える」なんて、NPB自身がそんなぼんやりしたレベルで野球やってると思ってたなんて、そんな甘い興業で客数が変わると思ってるなんて、なめられたもんだ。
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