愛知の夏も暑いけど、瀬戸内の、空気が動かないような暑さもなかなかです。
汗をかいたまま、じっとりといつまでも蒸発しないような、
世界が橙色に照らされた夕方の思い出話。
小学校に上がったかどうかのころ、
7つ離れた兄が、どこからか「やぶれコウモリ」の赤ちゃんを保護しました。
どこが悪かったのか、どういう経緯で拾ってきたのか、知りません。
なんせ光を嫌う(だったような・・・)コウモリは、ずっとアルミ箔で覆った虫かごの中だったし、
今よりももっとビビりだった私は、こわくて一度も覗いたことがなかったのです。
だから、コウモリが肌色だったか、コウモリ傘の色だったかすら定かではありません。
兄は、それからしばらくの間コウモリを飼っていましたが、それが1週間だったか、10日だったか、1ヶ月だったか、コウモリに名前がついていたか、・・・
私が憶えているのは、傷の癒えたコウモリを離すとき、
アルミ箔に包んで外に出して、離したとたん、あっという間に飛んで行った、
その姿だけです。
それからどれくらい経った記憶かは判りませんが、暑い夕方のこと。
たぶん習い事からの帰り道でしょうか、自転車を押しながら、兄がひぃーっ、と歯笛を鳴らしたのです。
兄は歯笛の名手です。上歯と下歯の間を狭く開けて、下歯に舌をくっつけて、音を鳴らします。口笛よりずっと広い音域で、ずっと強くいい音が鳴らせました。
そうすると、ひよひよと飛んでいたコウモリの群れから、一匹だけ、兄の方に寄って来るコウモリがいるのです。
「え?おったん(居たの)??」
と思ったので、たぶん一年以上は経っていたはずです。
その後も、季節になるたび「あいつじゃ」と、群れの中、兄にだけは見分けがついたようです。
・・いつの頃か、「あいつ」のことは聞かなくなりました。
暑いといっても、もしかしたら盛夏ではなく、暑くなりはじめの頃だったかもしれません。
白い積石の崖が、夕日色に染まっていました。
うた
汗をかいたまま、じっとりといつまでも蒸発しないような、
世界が橙色に照らされた夕方の思い出話。
小学校に上がったかどうかのころ、
7つ離れた兄が、どこからか「やぶれコウモリ」の赤ちゃんを保護しました。
どこが悪かったのか、どういう経緯で拾ってきたのか、知りません。
なんせ光を嫌う(だったような・・・)コウモリは、ずっとアルミ箔で覆った虫かごの中だったし、
今よりももっとビビりだった私は、こわくて一度も覗いたことがなかったのです。
だから、コウモリが肌色だったか、コウモリ傘の色だったかすら定かではありません。
兄は、それからしばらくの間コウモリを飼っていましたが、それが1週間だったか、10日だったか、1ヶ月だったか、コウモリに名前がついていたか、・・・
私が憶えているのは、傷の癒えたコウモリを離すとき、
アルミ箔に包んで外に出して、離したとたん、あっという間に飛んで行った、
その姿だけです。
それからどれくらい経った記憶かは判りませんが、暑い夕方のこと。
たぶん習い事からの帰り道でしょうか、自転車を押しながら、兄がひぃーっ、と歯笛を鳴らしたのです。
兄は歯笛の名手です。上歯と下歯の間を狭く開けて、下歯に舌をくっつけて、音を鳴らします。口笛よりずっと広い音域で、ずっと強くいい音が鳴らせました。
そうすると、ひよひよと飛んでいたコウモリの群れから、一匹だけ、兄の方に寄って来るコウモリがいるのです。
「え?おったん(居たの)??」
と思ったので、たぶん一年以上は経っていたはずです。
その後も、季節になるたび「あいつじゃ」と、群れの中、兄にだけは見分けがついたようです。
・・いつの頃か、「あいつ」のことは聞かなくなりました。
暑いといっても、もしかしたら盛夏ではなく、暑くなりはじめの頃だったかもしれません。
白い積石の崖が、夕日色に染まっていました。
うた
非常に贅沢な、至福のひと時を過ごすことがででき、感謝に堪えません。
うたさんのビオラの音色胸に込み上げ本当に幸せでした
瀬戸内のご出身でしたか。。。お兄さんとのやりとりの記事を読ませて頂き、私も兄との思い出を懐かしく思い出していました。
情景がとても素敵に描かれ・・・入り込んでしまいました。
良き思い出があるっていいですね。
お二人のお人柄の良さが演奏に表れいつも楽しみにしております。ありがとうございます
やっと秋らしくなってきましたね。
今年も暑くて、印象に残る音楽や出来事満載の熱い夏を重ねることができました。
この夏も、また思い出として「大事なもの棚」に加わっていくことと思います。
同じ時間を過ごしてくれる皆さまが居てこそ、だとしみじみ感謝。いつもありがとうございます。
また、音楽とおいしい食事と、お酒のひとときをご一緒できますように!